武佐宿跡
むさじゅくあと
- 更新日
- 2021/05/31
この地は、武佐宿を起点に伊勢に向かう八風街道(八日市・永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつながる街道で海産物、紙、布等の物資が行き交ったとされています。現在の国道421号線がほぼ踏襲)や八幡町内へ分岐する交通の要で長さは約1kmに及びます。
江戸時代に入って宿次・伝馬の法が一新され、武佐宿駅は大駅となり、宿村大概帳によれば、宿高八百九十余石、町並八町二十四間、本陣一、脇本陣一、問屋二、高札二、旅籠二十三、人足五十人、馬五十頭(最も賑わったときは百五十頭)、家数百八十三、人口五百三十七人と記されています。江戸時代の最も盛んな頃は三千人余の人の往来があり、近江商人もさかんに行き来したと思われます。その当時の風景は、安藤広重によって木曽街道六十九次にも描かれています。
また、かつては武佐升(近江升とも言われる八合升。秀吉が京升を採用したため薄れた。)や武佐墨(平安時代後期には紀伊国の藤代墨と並び名産だった)などの特産もあったと伝えられています。
※中山道はかつて中仙道とも記されましたが、幕府は正徳6年(1716年)に中山道と改めました。
所在地 | 近江八幡市武佐町 |
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アクセス |
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料金 | なし |
営業時間 | なし |
定休日など | なし |
予約の要否 | 不要 |
お問い合わせ | 近江八幡駅北口観光案内所
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