弘文天皇陵
こうぶんてんのうりょう
- 更新日
- 2018/05/21
大津市役所の裏手にある森。弘文天皇(648-672)は天智天皇の皇子である大友皇子です。天智天皇が大津京で没すると、皇位継承(こういけいしょう)をめぐって実の叔父である大海人皇子(おおあまのおうじ)(?-686)と古代最大の内乱・壬申(じんしん)の乱(天武(てんむ)元年・672)で争い悲惨な最期(さいご)を遂げました。享年わずか25歳でした。勝利した大海人皇子は、飛鳥に遷都して天武(てんむ)天皇となりました。
大友皇子は長らく皇統に認められなかったらしく、日本書紀にもその名がありません。しかし、明治時代初期になってようやく39代弘文天皇と追称されました。それからすぐに、長等山麓の一古墳が陵墓に選定され、死地である「山前(やまさき)」の名をとって長等山前陵(ながらやまさきりょう)と命名され、現在にいたっています。
所在地 | 大津市御陵町3 |
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お問い合わせ | 大津市歴史博物館
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