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信楽院

信楽院

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日野町
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日野町の町並みの東端にある浄土宗寺院。奈良時代前期、聖武天皇の勅建と伝えられています。中世にこの地方を統治していた蒲生氏の菩提寺です。安土・桃山時代に現在地に移されました。
 境内はそんなに大きくありませんが、県指定の文化財の本堂や書院などが目立っています。寺宝に、伝恵心(でんえしん)作の観音像があります。また、本...

中川清秀の墓

中川清秀の墓

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長浜市
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賤ケ岳の合戦は天正11年(1583)4月20日の早暁に、その幕が切って落とされました。大岩山は、左に賤ヶ岳、右に岩崎山、前方に神明山、と味方の軍に囲まれ、比較的安全な砦でした。しかし柴田勝家側の武将左久間盛政は、ここに奇襲をかけたのです。
 砦を守っていた中川清秀は、不意をつかれ驚きましたが、すぐに応戦し、一時は敵...

蓮華寺

蓮華寺

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米原市
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南北朝時代、足利尊氏の寝返りにあって鎌倉へ落ち延びる途中、京極道誉に阻まれて進退極まった北条仲時以下432人が自刃。流れ出た鮮血で、辺りは川と化したといいます。仲時28歳ほか、6歳の子供から60歳の高齢者に至るまでの名を記した過去帳は、国の重要文化財に指定され、寺の裏には彼らの墓が寄りそうように並んでいます。
 堂...

仙禅寺跡磨崖仏

仙禅寺跡磨崖仏

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甲賀市
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仙禅寺は県境をへだてて南西約5㎞に位置する鷺峰山金胎寺の別院で養老6年(722)開基と伝えられている。中世の戦乱ですっかり諸堂を焼失しましたが、奥の院跡の岸壁に三尊形式の磨崖仏が残っています。中尊は薬師如来坐像で像高1.5m。

馬頭観世音

馬頭観世音

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米原市
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江戸時代後期、中山道を往来する馬の息災延命を祈り、建立されました。

竜が丘俳人墓地

竜が丘俳人墓地

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大津市
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国道1号線に面した小丘にある墓地。昭和40年(1965)の補修で塚の位置が少し変わっていますが、江戸時代、内藤丈草(ないとうじょうそう)(1661-1704)が師匠である松尾芭蕉追悼のために建てた経塚を中心に、俳人の墓が並んでいます。
 内藤丈草をはじめ、水田正秀・蝶夢(ちょうむ)・巴静(はじょう)・森谷祐昌(もりや...

和田古墳群

和田古墳群

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栗東市
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6世紀中頃〜7世紀にかけてつくられた古墳群で9基の古墳が存在します。現在、和田古墳公園として整備されており、5号墳の石室は復元して中を見学できるようになっています。出土した遺物は、隣接する出土文化財センターで展示しています。
※現在、出土文化財センターは公開していません。調査研究および団体見学のみの事前受付となってい...

追分道標

追分道標

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草津市
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草津には、東海道・中山道を往来する旅人の道しるべとして親しまれた道標が数多く残っています。江戸寄りの入口、草津川堤防上にある火袋つきの石造道標(1816)、東海道と中山道の分岐点にある火袋つきの石造道標(1816)、東海道と矢橋道の分岐点にある石造道標(1798)、立木神社境内にある道標(1680)などがそうです。
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大津事件の碑(露国皇太子遭難地の碑)

大津事件の碑(露国皇太子遭難地の碑)

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大津市
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明治24年、来日中のロシア皇太子が襲われた事件で、のちに司法権独立を守ったとして有名になったところです。

八講堂千体地蔵

八講堂千体地蔵

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大津市
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山の辺の道沿いにある地蔵。昔八講堂があった場所の付近からたくさん発見された。

北畠具行卿墓

北畠具行卿墓

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米原市
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元弘(げんこう)の変(1331)で失脚した北畠具行の墓。徳源院(とくげんいん)(清滝寺)の南700m、丸山(285m)の山頂にあります。
 後醍醐(ごだいご)天皇に仕えた具行は、鎌倉幕府打倒の謀議に度々加わり、その中心的存在でしたが笠置(かさぎ)落城の後に幕府方に捕らえられ、鎌倉に護送される身となりました。しかし、...

寝物語の里

寝物語の里

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米原市
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岐阜県との県境にあるこの史跡は、江濃国境にまつわる「寝物語」の伝承地です。

昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊まり客どうしが、寝ながら話しができたことから付いた呼称です。
 安藤広重の「木曽街道六十九宿」に描かれた今須宿の図は、この地を描いたものです。現在宿等はなく、石碑のみが建っています。

埋木舎

埋木舎

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彦根市
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いろは松のわき道を北に入った旧中堀に面して立つ簡素な武家屋敷で、門前に碑が立っています。井伊直中の第14子として生まれ、5歳で生母を、17歳で父を亡くした井伊直弼(いいなおすけ)(1815-60)が、17歳から32歳までの15年間捨扶持わずか300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼は、ここで主に身心の修練...

皇子山古墳

皇子山古墳

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大津市
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京阪電鉄近江神宮前駅の西方、皇子が丘公園の北の皇子山(164m)頂上にあります。4世紀後半に築かれた市内最古の古墳で、国指定の史跡です。
 全長60m、堀の一部が残り葺石(ふきいし)が敷かれています。形としては、奈良盆地に成立した大和朝廷の大王の墓によく見られるような前方後円墳ではなく、前方後方墳の形をしています。当...

長浜八幡宮

長浜八幡宮

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長浜市
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誉田別尊(ほむたわけのみこと)(応神天皇)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)を祭神とする神社。4月14日から16日に行なわれる長浜曳山まつりは、国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年全国から数万人の観光客を集めています。
 平安時代、京都石清水八...

源内塚

源内塚

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守山市
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平治元年(1159年)12月27日、当時十三歳の源頼朝は、平治の乱に敗れて、京から東国へ敗走する途中、野路(草津市)あたりから馬上で居眠りをし、父・義朝一行からはぐれて一騎で守山に入りました。

その時、源内兵衛真弘らが頼朝の首を獲ろうと襲いかかりましたが、頼朝は「髭切り」と呼ばれる名刀で源内を一刀両断にしました。...

豊国神社(長浜市)

豊国神社(長浜市)

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長浜市
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安土桃山時代、秀吉の没後に長浜の町民がその遺徳を偲んで建立。事代主大神、豊臣秀吉、加藤清正、木村重成を祭神としています。
 大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、徳川幕府は神社を取り壊すよう命じました。町民は、一時、祭神を町年寄の家へ移し、八幡宮の古堂を移築して、商売の神様である恵比須神を前立に、奥殿に秀吉像をひそかに祀り...

野神神社(匂当内侍の墓)

野神神社(匂当内侍の墓)

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大津市
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野神神社(のがみじんじゃ)の境内にある墓。匂当内侍は足利尊氏(あしかがたかうじ)と対立した新田義貞(にったよしさだ)の妻で、たいへん美しい女性であったといいます。
 南北朝時代、足利尊氏に敗れた新田義貞は北陸へ落ち延びる途中に、妻の匂当内侍を堅田に残したまま越前(えちぜん)の藤島(ふじしま)で戦死します。この悲報を...

富川磨崖仏(耳だれ不動)

富川磨崖仏(耳だれ不動)

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大津市
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鹿跳(ししとび)橋から信楽川に沿って2kmほど進んだところにあります。正式には阿弥陀三尊不動明王磨崖仏といい、鎌倉時代の作です。
 高さ20mもある岩壁に阿弥陀如来を中心に、左右に観音(かんのん)・勢至(せし)の両菩薩が刻まれています。本尊である中央の阿弥陀如来像は、耳から鉱水が湧き流れていて淡紅色(たんこうしょく...

志賀清林の碑

志賀清林の碑

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大津市
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木戸村出身の奈良時代の力士、志賀清林を記念して作られたものです。志賀清林(生没年不詳、8世紀頃の人)を記念して作られた相撲公園が、国道161号線沿いにある志賀清林相撲公園です。園内には清林を讃える記念碑があり、昭和39年(1964)当時の横綱栃ノ海(とちのうみ)の土俵入りによって方屋開(かたやびら)きが行われました。...