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埋木舎
いろは松のわき道を北に入った旧中堀に面して立つ簡素な武家屋敷で、門前に碑が立っています。井伊直中の第14子として生まれ、5歳で生母を、17歳で父を亡くした井伊直弼(いいなおすけ)(1815-60)が、17歳から32歳までの15年間捨扶持わずか300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼は、ここで主に身心の修練...
小野妹子公園(唐臼山古墳)
遣隋使小野妹子の墓と伝わる古墳。墳丘は巨大な箱形石棺状石室が露出しています。このような墓は、ヤマト朝廷の官人層だけが造営できるという指摘もあります。
慶雲館
長浜市では、まちの迎賓館として建造された『慶雲館』を、新たな観光施設として整備し、平成16年7月より一般公開します。 早春には「長浜盆梅展」の会場として多くの観光客で賑わうこの建物は、明治時代、長浜の豪商・浅見又蔵氏が、明治天皇行幸に合わせ、私財を投じて建設した長浜の迎賓館です。『慶雲館』という名称は、その荘厳美...
玄蕃尾城跡
織田信長の家臣で、のちに賤ヶ岳の合戦で豊臣秀吉に敗れた柴田勝家が築いた砦跡。柳ヶ瀬の北西、滋賀県と福井県の県境にそびえる柳ヶ瀬山(439m)山頂にあります。石垣などはなく、空堀をめぐらし、土塁が築かれています。南北300m、東西150mに及ぶ広大な天然の要塞を利用してつくられた砦です。 柳ヶ瀬山は余呉町では中尾山といい...
椿山古墳
墳長99mの帆立貝形の前方後円墳で、この形では滋賀県下最大規模。周濠を持っており、栗東市内最大の古墳です。出土品は5世紀前半〜中頃の首長墓で、鉄剣や甲冑などがみつかっています。
瓢箪山古墳
四世紀後半に造られたとされる県下最大かつ最古級の前方後円墳で、国の史跡に指定されています。
滋賀院門跡
京阪電鉄坂本駅の南西すぐの所にあります。天台宗。もともと京都の北白川にあった法勝寺(ほうしょうじ)を、江戸時代初期に現在地に移し、のち後水尾(ごみずのお)上皇から滋賀院の号を賜わりました。江戸時代末まで天台座主(ざす)となった皇族代々の居所であったため高い格式を誇り、滋賀院門跡と呼ばれます。 坂本の町には、穴太(...
セミナリヨ跡
織田信長の庇護を受けた宣教師オルガンチノが建てた、日本初のキリスト教学校です。本能寺の変後、安土城とともに焼失しました。堆定地が公園として整備されています。
久徳城址
久徳は江戸期から昭和16年までの犬上郡の村名で、中世に京極家の物頭久徳氏の居城であったことに因みます。城は永禄3(1560)年に落城しました。
藤居本家
天保2年(1831年)創業の藤居本家は、新誉祭の御神酒を宮中に献上させていただく栄を賜る伝統の造り酒屋です。 愛知川の伏流水と地元産の酒造好適米を使い、能登杜氏が技術の枠をつくして酒造りをしています。
大正時代からの歴史ある「東蔵」(国の登録有形文化財指定)では、 酒造りや日本酒への理解を深めてもらうことを目...
義経の隠れ岩
高さ1.7m幅2mほどの岩で、海津大崎の少し手前の湖岸にあります。義経が兄の頼朝に追われる身となり奥州平泉に逃れる時、この土地を通りかかったといわれています。義経がこの岩に隠れたかどうかはわかりませんが、海津付近に上陸し一時身を隠して北国へ逃れていったことは謡曲「安宅」の一節に謡われています。
旧竹林院
里坊のひとつで、延暦寺の中でも格式の高い寺院であった。 庭園は国指定の名勝で、大宮川の清流を取り入れた曲水を主体にし、八王子山を借景としている。 築山も起伏に富み、五重の石塔、井筒などの石造物も多く残る。 大正年間に建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)は大津市の指定文化財。 紅葉の時期はライトアップされる。
蒲生氏郷公銅像
蒲生氏郷公を郷土の誇りとして顕彰するため、大正8年(1919)日野町上野田・ひばり野に銅像が建設されましたが昭和19年、第二次世界大戦に資源として供給されその後、幾度か再建への努力がかさねられました。 現在の銅像は、銅像建設審議会の答申に沿って、地域活性化及び景観対策事業として起工、地域の建設協力会はじめ、各地の...
野瀬山城跡(長比砦)
滋賀県と岐阜県にまたがる野瀬山に浅井氏が築いた城で、その後織田信長も入城しています。現在も往時の土塁などがよく残っています。
岡遺跡
奈良時代の役所跡であることがわかっています。溝によって区画された政庁、正倉、舘などの施設が発見され、古代栗太郡の郡衙(郡の役所)として全国に知られました。小槻大社や歴代の首長墓が付近に立地することから、小槻氏の本拠地につくられたといえます。
若宮氏館跡
山内一豊の妻の千代は、若宮喜助友興(わかみやきすけともおき)の子として、弘治三年(1557年)にここで生まれと言われています。永禄九年(1566年)に父友興が戦死し、叔母の夫の不破氏に養われていましたが、その後再び飯村に戻りました。この頃、隣村(宇賀野村)の長野家に身を寄せていた山内一豊母子と出合い、一豊の妻になったさ...
大庄屋諏訪家屋敷
【日本遺産・市指定文化財】 諏訪家に残る系図によると、諏訪家は永正(えいしょう)年間(1500年ごろ)に、諏訪左近将監(さこんしょうげん)長治(おさはる)(小笠原貞朝次男)が信州より来たことに始まると伝えられていますが、確かなことは分かっていません。 諏訪家の事がはっきりとわかるようになるのは、江戸時代に入ってから...
虎御前山
標高約230mの山で古くは長尾(ながお)山と呼ばれていました。全山に樹林が茂り、周囲は急傾斜で自然の要砦(ようさい)を形作っています。 戦国時代、織田信長が小谷城の浅井長政を攻めた折、最前線として虎御前城を築き、柴田勝家の陣が置かれました。信長は、3回にわたって砦(とりで)を築かせていますが、砦は小谷城落城の後、...
四足門
東と西の入り口に、それぞれ茅葺の棟門があります。この門は四脚で、中世から明治維新まで集落の四方の入り口にあることから、村の出入の検察が行われたと伝えられています。昔は、東西南北の集落入り口4箇所にありましたが、現存するのは東西の2箇所のみとなっています。
和田城跡
門田の殿山にあった甲賀武士和田氏の居城。足利義昭が15代将軍になる際、和田氏保護を受けて当城に一時潜伏したことで知られている。公方屋敷もあった。市指定史跡。