観音寺(伊富貴山観音護国寺)
かんのんじ(いぶきやまかんのんごこくじ)
- 更新日
- 2015/07/07
伊吹山旧四大寺の一つ。平安時代前期の仁寿年間、律師三修によって建立されました。観音寺は通称で、正式には伊富貴山観音護国寺(いぶきやまかんのんごこくじ)といいます。もとは法相宗(ほっそうしゅう)に属していましたが、弘和(永徳)3年(1383)に天台宗に改めました。正元年間(1259-1260)に、現在地に移築されています。
本尊の十一面観音像は行基(ぎょうき)作で、伊吹山(1377.1m)の霊木を刻んだものと伝えられています。胎内に、貞応3年(1224)の銘を記す伝教大師坐像は、鎌倉初期の作品で高さ約65cmの一木造。国の重要文化財に指定されています。
堂宇は正徳5年(1715)に再建の本堂(国の重要文化財)、薬師堂、鐘楼、山門などからなり、秀吉が鷹狩りで立ち寄った際に、寺の小僧をしていた石田三成(いしだみつなり)を「三碗(さんわん)の才」で見出したことで名高い寺です。
<重文>木造伝教大師坐像(でんきょうだいしざぞう)
●備考
「近江西国霊場三十三ヶ所」
所在地 | 米原市朝日1342 |
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アクセス |
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お問い合わせ | 観音寺(伊富貴山観音護国寺)
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