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小槻大社古墳群
小槻大社を中心に17基の古墳が分布しています。境内にある古墳で最大級規模を持つ1号墳は、直径約25mの規模を持ちます。10号墳(5世紀後半〜6世紀前半頃)以外は未調査のため明確な時期がわかっていません。
馬の寺「石馬寺」
静かな木立の中の乱れ石積みの坂を上りつめると、古刹石馬寺(臨済宗妙心寺派禅宗寺院)が現れます。寺伝によると、1400年前に聖徳太子が当地を訪れ、山麓の松の木に馬をつなぎ、霊地を探して山上に登り、戻るとその馬は石になって池に沈んでいたことから、これに霊異を感じた太子が開基したと言われています。聖徳太子直筆の「石馬寺」の三...
岩戸山 十三仏
山箕作山の南端の巨大な1枚岩に聖徳太子が刻んだとされる13体の仏像が安置されています。 裾から山頂まで続く道(30分程度)の両脇にも、石仏が安置されています。毎年4月には千日会が行われ信仰の深い人々で賑わいます。
祥瑞寺
華叟宗曇が開祖の寺院で、その弟子である一休宗純が青年時代ここで修行をしたことで有名。
小野道風神社
小野神社から南へ約0.6km。小野神社の飛地(とびち)境内にあります。祭神は小野道風(おののとうふう)(894-966)。道風は小野篁(おののたかむら)の孫(甥という説もある)にあたる人物で、平安時代中期における書の第一人者です。若い頃から能書家であったと伝えられますが、柳に飛びつく蛙の必死の姿を見てショックを受け、...
琵琶湖周航の歌記念碑
旧制三高の当時の水上部が立ち寄った場所で、「琵琶湖周航の歌」の誕生の地としての記念碑です。
丸山古墳
丸山古墳は、虎御前の最南端に位置する独立丘陵、通称「丸山」の頂上に古墳時代の初期(1600年前)に築造された日本最古の古墳で、その墳形は円墳です。内部は粘土槨棺と思われ、本館のまわりを粘土と朱で固めたものと推定されています。 多数の土器片とともに発掘された青銅製の唐草紋緑細線式獣帯鏡は日本最初の発掘物であり、紀元前に漢...
西光寺跡の宝篋印塔
観音像の夢のお告げにより、伝教大師が鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓に「西光寺」を建立されました。源頼朝(みなもとのよりとも)や足利尊氏(あしかがたかうじ)も泊まったといわれている古刹です。康平(こうへい)2年(1060)の乱で一山焼亡し中興されましたが、信長の兵火(1571)で廃寺となります。 その名残をとどめているのが...
一豊・千代の像
JR北陸本線坂田駅前木、「愛馬に乗った一豊公と千代夫人像『なでしこ』」があり、市内『功名が辻』ゆかりの地のシンボルとなっています。
水口宿本陣跡
水口本陣は古い家柄で苗字帯刀を許された鵜飼伝左ヱ門が営んでいました。表門は貴人宿泊の格式を表し、瓦葺か冠木門で屋舎は平屋でした。本陣の特色として庭はあるが絶対に石は入れず、必ず裏手に立ち退き口があり、非常の際の脱出口になりました。現在の本陣跡は明治天皇行在所の石碑が建っているだけでその面影はありません。 近くに脇本...
金勝山系
国指定史跡「狛坂磨崖仏」や金勝寺、天然の奇岩を巡って琵琶湖の眺望を楽しめるハイキングコース。山麓には道の駅「こんぜの里りっとう」、ヨーロッパ風のバンガローが人気の「バンガロー村」、林業体験ができる宿泊施設「森遊館」、緑豊かな「県民の森」があります。
釈迦山 百済寺
重厚な石垣に覆われた『山城』の趣が漂う天台宗の寺院。 近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建された。 龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わる。 開闢法要...
黒田家御廟所
当地の御廟所に祀られている黒田藩の始祖は、佐々木源氏の流れをくむ源宗清(宗満)公であり、近江国伊香郡黒田村に住み、湖北の荘園領主として黒田判官と称された。 宗清公より数えて6代目の高政公の時代に備前邑久郡福岡村に移り住むまでの約200年間は、黒田氏は6代にわたりこの地に居を構えていた。
茶臼山古墳(長浜市)
姉川古戦場を望む自然の山を利用した前方後円墳です。後円部の登り口から多数の円筒埴輪の破片が出土しました。市内では最も完全形に近い古墳です。
懸所宝塔
善立寺・因宗寺はJR守山駅の北西約1.7kmにある真宗大谷派の寺院です。室町時代中期に、金森道西坊(かなもりどうさいぼう)が本願寺(ほんがんじ)の蓮如(れんにょ)に帰依(きえ)し、一寺を建立したのが始まりと伝えられています。 境内は1000平方メートル弱で、本堂・庫裏(くり)・山門などが建っています。
境内隅に立...
膳所城跡公園
近江大橋西詰のすぐ南側に突き出た地にあった膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せ...
仁王尊
西光寺跡地のお堂に祀(まつ)られている石の仁王尊で、そのうちの一体は、昔、山崩れの際に地下に埋没されたといわれています。 昔から「足の病を癒してくださる」と言い伝えがあり、毎年7月に開かれる千日会(せんにちえ)には、草鞋(わらじ)をお供えする風習があって平癒(へいゆ)を願う参拝者が今も絶えません。
姫塚
長束正家の正室 栄子姫をしのぶ 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦に敗れた水口岡山城主長束正家(豊臣家5奉行の一人)は、落城後に自刃しました。身重であった正室 栄子姫も城を脱出して出産しましたが、まもなく死没。旧臣がこれを憐れんで葬り、一個の石を置いて標識とし、その墓を慰めたといわれています。
埋木舎
いろは松のわき道を北に入った旧中堀に面して立つ簡素な武家屋敷で、門前に碑が立っています。井伊直中の第14子として生まれ、5歳で生母を、17歳で父を亡くした井伊直弼(いいなおすけ)(1815-60)が、17歳から32歳までの15年間捨扶持わずか300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼は、ここで主に身心の修練...
光徳寺
蓮如上人の法難に対して、自ら首を打たせて出させた堅田源兵衛ゆかりの寺。その首と墓所がある。