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今井兼平の墓
JR石山駅の北西200m、盛越(もりこし)川のほとりに立つ墓です。 今井兼平(1152?-84)は木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)と乳兄弟にあたる平安時代末期の武将で、木曽の四天王とも呼ばれていた人物です。ここ粟津(あわづ)で義仲とともに戦って悲壮な最期を遂げました。義仲が討たれたことを知ると、自ら刀を口...
追分道標
草津には、東海道・中山道を往来する旅人の道しるべとして親しまれた道標が数多く残っています。江戸寄りの入口、草津川堤防上にある火袋つきの石造道標(1816)、東海道と中山道の分岐点にある火袋つきの石造道標(1816)、東海道と矢橋道の分岐点にある石造道標(1798)、立木神社境内にある道標(1680)などがそうです。 ...
鏡神社
南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されている朝鮮半島の新羅から製陶技術(渡来文化)を伝えた天日槍を祀る神社です。本殿は三間社流造り、屋根はこけら葺きで、国の重要文化財に指定されています。
天保義民碑
天保13年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。これが、歴史に有名な天保一揆である。検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂をなぐさめ、...
藤尾磨崖仏
大津市と京都の境にある藤尾磨崖仏です。延応2年(1240年)の作とされている磨崖仏です。磨崖仏は堂内に安置されておりますのでゆっくりとご覧いただけます。
桜生史跡公園
「国史跡大岩山古墳群」のうち、6世紀を中心とする「甲山古墳」「円山古墳」「天王山古墳」の3古墳があります。とくに「円山古墳」と「甲山古墳」では、横穴式石室の内部に熊本県阿蘇から産出した凝灰岩をくり抜いた家形石棺や大阪府と奈良県の境に位置する二上山で産出する凝灰岩をもちいた組合式石棺を見学することができます。また、古墳の...
源内塚
平治元年(1159年)12月27日、当時十三歳の源頼朝は、平治の乱に敗れて、京から東国へ敗走する途中、野路(草津市)あたりから馬上で居眠りをし、父・義朝一行からはぐれて一騎で守山に入りました。
その時、源内兵衛真弘らが頼朝の首を獲ろうと襲いかかりましたが、頼朝は「髭切り」と呼ばれる名刀で源内を一刀両断にしました。...
祥瑞寺
華叟宗曇が開祖の寺院で、その弟子である一休宗純が青年時代ここで修行をしたことで有名。
豊国神社(長浜市)
安土桃山時代、秀吉の没後に長浜の町民がその遺徳を偲んで建立。事代主大神、豊臣秀吉、加藤清正、木村重成を祭神としています。 大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、徳川幕府は神社を取り壊すよう命じました。町民は、一時、祭神を町年寄の家へ移し、八幡宮の古堂を移築して、商売の神様である恵比須神を前立に、奥殿に秀吉像をひそかに祀り...
水口宿本陣跡
水口本陣は古い家柄で苗字帯刀を許された鵜飼伝左ヱ門が営んでいました。表門は貴人宿泊の格式を表し、瓦葺か冠木門で屋舎は平屋でした。本陣の特色として庭はあるが絶対に石は入れず、必ず裏手に立ち退き口があり、非常の際の脱出口になりました。現在の本陣跡は明治天皇行在所の石碑が建っているだけでその面影はありません。 近くに脇本...
寝物語の里
岐阜県との県境にあるこの史跡は、江濃国境にまつわる「寝物語」の伝承地です。
昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊まり客どうしが、寝ながら話しができたことから付いた呼称です。 安藤広重の「木曽街道六十九宿」に描かれた今須宿の図は、この地を描いたものです。現在宿等はなく、石碑のみが建っています。
慈眼堂
天海大僧正の廟所。境内には、江戸時代以降の歴代天台座主の墓があり、徳川家康や紫式部の供養塔もある。
仙禅寺跡磨崖仏
仙禅寺は県境をへだてて南西約5㎞に位置する鷺峰山金胎寺の別院で養老6年(722)開基と伝えられている。中世の戦乱ですっかり諸堂を焼失しましたが、奥の院跡の岸壁に三尊形式の磨崖仏が残っています。中尊は薬師如来坐像で像高1.5m。
生源寺
京阪電鉄坂本駅のすぐ北側にあります。天台宗。日吉大社大鳥居のすぐ前にある比較的こぢんまりとした寺院で、奈良時代後期、最澄(さいちょう・767-822)によって開山されたと伝えられます。また、最澄の生誕地といわれ、延暦寺の中でも特別な霊地として崇められています。 山門のかたわらに「開山伝教大師御生誕地(かいざんでん...
神照寺
第59代宇多天皇の勅願により、西暦895年の創建。真言宗智山派の古刹。国宝の金銀鍍宝相華唐草文華籠や重要文化財の千手観音(ボケ封じ観音)をはじめ、多くの文化財を有する。元伏見稲荷・愛染寺のダキニ天を境内地の神照稲荷にお祀りしている。境内地には、秋になると足利尊氏が植えたと伝わる秋の七草の一つ・萩の名所となる。
磨崖不動明王像
花園の集落から岩根山へ登る中腹に巨大な絶壁に浮き彫りされています。像高4.3mの像は渓谷を隔てた道からでもその巨大さを感じさせ、圧巻です。高さ6.2mの岩に彫られています。 ひじ幅2.1m 顔幅0.8mという。 通称車谷不動尊、花園不動と呼ばれています。
山内一豊公 母の墓
山内一豊の母は、夫盛豊が亡くなった後、法秀院として出家し、次男・一豊らを連れて居を転々としたのち、永禄末年(1569)頃、4人の子どもを連れて宇賀野の長野家に身を寄せたと考えられています。法秀院はつつましく穏やかな性格で、村の子ども達から慕われていたと伝えられています。近所の子どもに裁縫や行儀見習いを教えていましたが、...
大津事件の碑(露国皇太子遭難地の碑)
明治24年、来日中のロシア皇太子が襲われた事件で、のちに司法権独立を守ったとして有名になったところです。
幻住庵
江戸時代に松尾芭蕉(1644-94)が4カ月間暮らした草庵。京阪電鉄石山寺駅の西にある国分山東斜面の近津尾(ちかつお)神社にあります。芭蕉が、ここでの生活を『幻住庵記(げんじゅうあんき)』に記したことはあまりにも有名です。幻住庵は、芭蕉の門人の1人であった菅沼曲翠(すがぬまきょくすい)(1659-1717)が義仲寺で...
皇子山古墳
京阪電鉄近江神宮前駅の西方、皇子が丘公園の北の皇子山(164m)頂上にあります。4世紀後半に築かれた市内最古の古墳で、国指定の史跡です。 全長60m、堀の一部が残り葺石(ふきいし)が敷かれています。形としては、奈良盆地に成立した大和朝廷の大王の墓によく見られるような前方後円墳ではなく、前方後方墳の形をしています。当...