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延命地蔵尊
多賀大社の門前町にある延命地蔵尊。古くから地蔵信仰の場で、多賀大社参拝の人も立ち寄っていました。本堂は、中央に本尊地蔵菩薩を安置し、左側に、地獄で人の罪を裁くという閻魔大王を中心にして、罪を記録し報告するという倶生神、司録神、浄玻梨を配して、地獄の場面を表し、右側に地獄の苦を救う千手千眼自在菩薩を配している。
勝手神社
創立された時期はわかっていませんが、古くは「岡屋大明神」「勝手大明神」とよばれていました。現在の本殿は、応永7年に上棟されたことが確認できています。中世の特徴を見せる本殿は、三間社流造で、国指定の重要文化財になっています。深い緑に囲まれた静かな社です。
真言宗長光寺
長光寺は弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峯寺を本山とする高野山真言宗のお寺です。正面に本堂、右に大師堂、左に不動堂を配します。御本尊は『千手子安観世音菩薩』です。聖徳太子御建立四十九院の一つであって、其の当時にあっては壮広たる七堂伽藍であったことが古書に依って知られます。 抑も長光寺の始まりは、聖徳太子が老蘇の森に仮宮...
水口神社
平安時代の「延喜式」にのる式内社。江戸時代には水口宿の繁栄とともに社殿が整備され、藩主加藤氏の保護を受け「大宮さん」と呼ばれ親しまれてきました。女神坐像は国の重要文化財です。
4月20日の水口曳山祭には、華やかな曳山巡行があり、多くの観光客で賑わいます。
石坐神社
京阪電鉄石山坂本線の錦駅の北、滋賀大学付属小学校の東側にあります。創建年代等は不詳。祭神は彦坐王(ひこいますおう)と、天智天皇、伊賀釆女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)とその子大友皇子(おおとものおうじ)(弘文天皇)、豊玉比古命、海津見神です。前四柱の神像は平安および鎌倉時代の作で、重要文化財に指定されていま...
長光寺(花の木寺)
長光寺の始まりは、聖徳太子が老蘇の森に仮官された時、高階の妃は御難産でしたので、太子は妃に「仏法を信じ仏の加護を祈りなさい」とお諭しされます。妃はひたすら諸仏の慈悲を仰がれた所、西南の方より仏の使いが来て、「汝が願いは、正しく観世音が救い給う」と言って、仏の使いは飛びさり、妃は安産されました。 太子が使いを派遣された...
太神山不動寺
太神山の頂上近くにある天台寺門宗の寺。平安時代初期、智証大師円珍が創建。本尊は円珍作の不動尊像。本堂は南北朝時代に再建され、巨大な花崗岩の上に建つ。
飯道寺
飯道山の麓にある天台宗寺院。もと飯道寺の法灯を明治維新後ひきついだものです。阿弥陀如来坐像、十−面観音立像、地蔵菩薩立像は国の重要文化財です。
多田幸寺
市内南部にある田村山の麓にある臨済宗妙心寺派の寺院です。平安時代末期に源賢が天台宗で開きました。小さい寺ですが、本尊の薬師如来坐像は国の重要文化財です。
冷泉寺
本尊の十一面千手観音をはじめ、仏像7体が国の重要文化財に指定されており、仏教美術の研修者を集めています。一度荒廃し、江戸時代に再興されました。
天孫神社
桓武天皇にいわれのある海運神、10月の大津祭は有名です。 四宮神社ともいわれ、彦火火出見尊、国常立尊、大名伴遅尊、帯中津日子尊の四柱を祀ることから、また、彦火火出見尊が天照大神の第四代目にあたるという説からきている。
真廣寺
薬師如来座像は見るからに均整のとれた一木割矧造りの漆箔像で、左手に薬壷をのせ、結跏跌坐しています。 温和な表情からは定朝様式の藤原仏を感じさせますが、そのどっしりとした体躯からは貞観様式をも感じさせ、平安時代末期の作と考えられます。 伝説ではこの薬師如来は、霊仙の山中にあった霊仙寺の本尊であったものが、天野川に流さ...
雲迎寺(さつき寺)
町の東部、音羽にある雲迎寺(浄土宗)は、「さつき寺」という名の方がよく知られています。境内いっぱいに、さつきの古木が生い茂り、6月上旬から中旬にかけての開花時期には、紅一色の燃えるような見事な眺めが展開されます。 雲迎寺は、昔、宝殿ガ岳の山頂にあった神社の別当寺としてこの地に建てられたのが始まりです。さつきの築山...
永源寺
大自然の恵みと人々の英知に支えられて近江湖東の地に悠久の時を刻んできた仏統と格式の古刹。南北朝時代、近江の領主であった佐々木氏頼が、寂室元光禅師(じゃくしつげんこうぜんじ)を開山に迎え、伽藍(がらん)を建立したのが始まり。その後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの修行僧を擁したといいま...
馬見岡神社
天戸間見命、天津彦根命を祭神として祀り、神像は国の重要文化財に指定されています。毎年5月1日から5日に行われる宮坐神事は、古式豊かな祭礼でもあります。
善立寺・因宗寺
JR守山駅の北西約1.7kmにある真宗大谷派の寺院。室町時代中期に、金森道西坊(かなもりどうさいぼう)が本願寺(ほんがんじ)の蓮如(れんにょ)に帰依(きえ)し、一寺を建立したのが始まりと伝えられています。懸所金森御坊の維持をしています。
祥瑞寺
華叟宗曇が開祖の寺院で、その弟子である一休宗純が青年時代ここで修行をしたことで有名。
敬恩寺
近江湖南二十七名刹霊場のひとつ。
金勝山の北に立ちます。開基は不明ですが、室町時代に浄土宗寺院として再興されたと伝わります。本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作品で国指定の重要文化財です。
下新川神社
崇神天皇の皇子、豊城入彦命が祀られています。境内には守山市内ではいちばん高いクスノキ(=守山市の木)があります。
【すし切りまつり】 「すし切りまつり」は祭神・豊城入彦命が東国を平定するために琵琶湖を渡ったこの地を幸津川(さづがわ)と命名、村人がふなずしを献上して喜ばれたという伝承に由来しているとされてい...
上葦穂神社
天智天皇9年(670)の社殿建立で、境内には湖南市指定文化財の木造地蔵尊立像が安置されています。