山本山城跡
やまもとやまじょうせき
- 更新日
- 2022/04/15
近江高天原伝説のある山本山(325メートル)は、琵琶湖の東岸に沿って賤ヶ岳から南へ続く山系の南端に位置するちょうどお椀を伏せたような形の山ですが、その山頂の山本山城は湖北には珍しく、平安末期築城の古い歴史を持っています。
源義家の弟、新羅三郎義光の流れを汲む清和源氏の一族が近江を本拠地として十五代続き、『玉葉』には、治承四年(1180年)山本義経(義経二人説の一方として知られている)の本拠地を平知盛・資盛が攻撃したことが記されています。源氏の旗揚げとともに、平家打倒の挙兵をし、木曽義仲の上洛を助けますが、義仲の滅亡とともに没落してしまいます。その後は歴史のながれに翻弄されるように、浅井氏の支城として阿閉氏の居城となり、木下藤吉郎に攻められて織田方となり、「山崎の合戦」時は明智方となり、その戦いに敗れると城は遂に落ち、廃城となります。
城跡へは麓からと、津里の宇賀神社から遊歩道が整備され、山頂まで歩いて約30分かかります。ここから眺める琵琶湖と竹生島はまさに絶景です。山上には、本丸、二の丸、三の丸、馬の蹴り跡等が残っており、本丸の土塁は高さ2メートルを超える大きさを持っています。
木曽義仲が植えたといわれる「見返りの松」や、麓の神社境内には、義経が平家追討出陣の際、鎧をかけ軍議を練ったと伝えられる「鎧かけの松」が往時をしのばせています。
お問い合わせ | (公社)長浜観光協会
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