姉川古戦場

あねがわこせんじょう

更新日
2015/06/29

    町の南端を流れる姉川の野村橋(のむらばし)付近一帯は、戦国時代に壮絶な戦いが繰り広げられた所です。 小谷(おだに)城主の浅井長政(あざいながまさ)(1545-73)は、織田信長の妹お市の方を夫人にし、織田家と同盟を結んでいましたが、かねて親交のあった越前の朝倉(あさくら)氏を、信長が攻めたことにより信長と長政との間に確執ができました。この合戦は、浅井・朝倉軍約1万8千人と織田・徳川軍約2万8千人が、姉川を挟んで軍を敷き、徳川方の攻撃により戦いが始まりました。 最初、浅井・朝倉軍が優勢で、織田方は、13段構えの陣を11段まで突破されるほどでしたが、徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、浅井軍は右翼から崩れはじめ、これに力を得た織田軍も総攻撃に転じ、浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走することになりました。この戦いによる戦死者は両軍で2500人とみられ、この3倍におよぶ負傷者が出、姉川は血で真っ赤に染まったといわれています。血原(ちはら)、血川橋(ちかわばし)という地名が、当時の惨状を伝えています。 この合戦の後も、長政は本願寺(ほんがんじ)などの反信長勢と協力して抵抗を続けましたが、姉川の戦いから3年後に、小谷城を包囲され、28歳で自刃しました。

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