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長光寺城跡
長光寺城のあった長光寺山は、別名、瓶割山と呼ばれています。この由来は、織田信長の命により配されていた柴田勝家が、近江の守護「佐々木」の軍勢に包囲され籠城策を取った際の逸話によるものです。籠城が長引くにつれ、貯蔵している水も残りわずかとなり、このままでは落城も時間の問題と思われたが、柴田勝家は、座して死すよりも将兵の士気...
大通寺(長浜御坊)
真宗大谷派(東本願寺)の別院。正式には無礙智山(むげちざん)大通寺といいますが、一般に「長浜御坊」の名で呼ばれています。湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を、旧長浜城内に開いたのが始まりで、そのころは、長浜御堂と呼ばれていました。安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され、御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築...
瀬田の唐橋
日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い名橋。古くは、瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれ、日本書紀にも登場する。現在の状態は、織田信長により現在の状況(大橋・小橋)に整備された。 「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった。現在の橋は昭...
大庄屋諏訪家屋敷
【日本遺産・市指定文化財】 諏訪家に残る系図によると、諏訪家は永正(えいしょう)年間(1500年ごろ)に、諏訪左近将監(さこんしょうげん)長治(おさはる)(小笠原貞朝次男)が信州より来たことに始まると伝えられていますが、確かなことは分かっていません。 諏訪家の事がはっきりとわかるようになるのは、江戸時代に入ってから...
湖東三山 西明寺(池寺)
湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)によって再興されました。 門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・...
若宮氏館跡
山内一豊の妻の千代は、若宮喜助友興(わかみやきすけともおき)の子として、弘治三年(1557年)にここで生まれと言われています。永禄九年(1566年)に父友興が戦死し、叔母の夫の不破氏に養われていましたが、その後再び飯村に戻りました。この頃、隣村(宇賀野村)の長野家に身を寄せていた山内一豊母子と出合い、一豊の妻になったさ...
本誓寺庭園
日野には本誓寺という名をもつ寺が2寺あります。その一つ日田の本誓寺(真宗大谷派)で親しまれる寺は、広大な境内に豪壮な堂宇が建立され、枝ぶりの見事な老松が青々と茂っています。また境内の南隅にある庭園は、高田敬輔(たかだけいほ)が造ったといわれ、日野町では最も古く由緒ある庭園として名高いです。 また、築山には梅と桜、紅葉...
玄蕃尾城跡
織田信長の家臣で、のちに賤ヶ岳の合戦で豊臣秀吉に敗れた柴田勝家が築いた砦跡。柳ヶ瀬の北西、滋賀県と福井県の県境にそびえる柳ヶ瀬山(439m)山頂にあります。石垣などはなく、空堀をめぐらし、土塁が築かれています。南北300m、東西150mに及ぶ広大な天然の要塞を利用してつくられた砦です。 柳ヶ瀬山は余呉町では中尾山といい...
瀬田廃寺跡
奈良時代に建てられた国分寺の跡といわれています。遺構としては、南門・三重塔・金堂・講堂が一直線に並んでいます。 礎石(そせき)が5個残っており、これは三重塔のものと考えられています。1つの礎石は1.5m四方の石で、上部だけが露出しています。
姉川古戦場
町の南端を流れる姉川の野村橋(のむらばし)付近一帯は、戦国時代に壮絶な戦いが繰り広げられた所です。 小谷(おだに)城主の浅井長政(あざいながまさ)(1545-73)は、織田信長の妹お市の方を夫人にし、織田家と同盟を結んでいましたが、かねて親交のあった越前の朝倉(あさくら)氏を、信長が攻めたことにより信長と長政との間に...
松尾寺 (天台宗)
普門山と称する天台宗の古刹で、松尾山中にあります。創建はかなり古く、奈良時代後期に役行者(えんのぎょうじゃ)の開基、平安時代前期の伊吹山寺三修の高弟、松尾童子の中輿と伝えられています。本尊は、祈願中に雲中より飛来したという十一面観音菩薩で、一般に「飛行観音」と呼ばれて、航空を含めた旅の守り仏様、また厄除けの寺としても...
旧和中散本舗
<栗東八景〜積日の海道と城跡〜> JR手原駅の東約2km、旧東海道沿いの六地蔵にあります。大角弥右衛門家の邸宅のことで、豪商の昔の姿をそのまま今に留めています。 六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。薬を売るだけでなく、...
日吉茶園
最澄が中国の唐から持ち帰ったお茶の種を植えたとされる茶園。日本茶発祥の地とも言われる。
北国街道 安藤家
安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、賤ヶ岳合戦(1583年)では秀吉に協力しました。秀吉は町衆の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はそ の十人衆として町衆文化の一翼を担い、江戸期には十人衆の中から選ばれる三年寄の一家として、長浜町の発展に力を尽くし活躍しました。
明治以降の安藤家は、近...
岡遺跡
奈良時代の役所跡であることがわかっています。溝によって区画された政庁、正倉、舘などの施設が発見され、古代栗太郡の郡衙(郡の役所)として全国に知られました。小槻大社や歴代の首長墓が付近に立地することから、小槻氏の本拠地につくられたといえます。
神照寺
第59代宇多天皇の勅願により、西暦895年の創建。真言宗智山派の古刹。国宝の金銀鍍宝相華唐草文華籠や重要文化財の千手観音(ボケ封じ観音)をはじめ、多くの文化財を有する。元伏見稲荷・愛染寺のダキニ天を境内地の神照稲荷にお祀りしている。境内地には、秋になると足利尊氏が植えたと伝わる秋の七草の一つ・萩の名所となる。
月心寺
京阪電鉄京津線の大谷駅から西へ歩いてすぐのところにある寺院。歌川広重(うたがわひろしげ)が描いた東海道五十三次にある大津の錦絵には、溢れ出る走井(はしりい)の水のそばの茶店で旅人が休息している姿が見られますが、この茶店が現在の月心寺といわれている。日本の名水として広く知られたこの走井の水は、多くの詩歌や文学作品に登場...
石の寺 教林坊
西暦605年、聖徳太子によって創建されたと伝わり、林に囲まれた地で教を説かれたことから「教林坊」と名づけられました。ご本尊の観音さまは同じく聖徳太子作で、赤川観音と呼ばれ、困難な願いも二度参れば叶う「再度参りの観音」と信仰を集めてきました。 また境内に広がる庭園は小堀遠州作と伝わり、苔むした巨石が連なる豪快な桃山時...
藤樹書院・良知館
JR安曇川駅の南東約1.2kmにあります。近江聖人といわれた日本陽明(ようめい)学の祖、中江藤樹(なかえとうじゅ)(1608-48)の住居跡・講堂跡で、国の史跡に指定されています。 この建物は、藤樹の自宅が狭くなったために彼が没する半年前の正保5年(1648)に、門弟や村人たちの協力によって完成したものです。明治時代...
光浄院客殿・庭園
光浄院は、三井寺山内塔頭寺院のひとつです。客殿は国宝に指定され、安土・桃山時代の豪華な建築です。庭園は、小規模ながら奥行のある味わい深い構成は近江の代表的な庭園といわれています。国指定の名勝。 書院の縁の真下が池の始まりであり、足もとに満々と水がたたえられています。池は東西に長く続き、亀島に自然石の橋が架けられてい...