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藤居本家
天保2年(1831年)創業の藤居本家は、新誉祭の御神酒を宮中に献上させていただく栄を賜る伝統の造り酒屋です。 愛知川の伏流水と地元産の酒造好適米を使い、能登杜氏が技術の枠をつくして酒造りをしています。
大正時代からの歴史ある「東蔵」(国の登録有形文化財指定)では、 酒造りや日本酒への理解を深めてもらうことを目...
弥高寺跡
平安時代三修上人によって建てられた伊吹山寺の一寺院。往時は60坊があり、京極氏の城郭の役割も果たしました。
セミナリヨ跡
織田信長の庇護を受けた宣教師オルガンチノが建てた、日本初のキリスト教学校です。本能寺の変後、安土城とともに焼失しました。堆定地が公園として整備されています。
大原城跡
甲賀武士大原篠山数馬の屋敷で、土塁、堀が残存し、室町時代の城跡をそのまま保存。町指定史跡。
胡宮神社
足下に名神高速道路を見下ろす眺めの良い丘の上に立ち、寿福・延命に御利益があると伝えられています。青龍山(せいりゅうざん)の巨石信仰が起源といわれ祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。もとは敏満寺(びんまんじ)の鎮守社であったので、敏満寺の境内であったといわれる場所に建ってい...
琵琶湖疏水
京阪電鉄三井寺駅のすぐ北側を流れる疏水運河。京都への飲料水の供給と灌漑、水運、発電を目的として明治18年(1885)6月2日に着工、約5年の歳月をかけて明治23年(1890)4月に完成しました(第2疏水は明治45年(1912)に完成、全線トンネルで、延長7.4km)。全長11.1km、日本人だけの技術で、資材面などの...
龍潭寺
井伊氏の始祖、藤原共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行基(ぎょうき)によって遠江(とおとおみ)国(現静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院です。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天(こうてん)が佐和山(232.5m)山麓に移築しました。近郊に多くの末寺をかかえ、学僧が学ぶ大道場でした。 ...
松尾神社庭園
桃山初期の作庭といわれ、寺院叉は武家の書院に面した庭園機構です。当地には昔、延命山尊勝寺という東大寺所属の寺があって、松尾神社はその寺の鎮守であったと考えられるところから、当庭園もその機構と思われます。 しかし、一説では、永禄9年(1566)奈良興福寺、一乗院に隠れていた将軍足利義昭が、近江に佐々木義賢を頼った時、...
柳ヶ瀬関守の門
このあたりは、北国街道と越前若狭街道の分岐点でした。特に婦女子が、北国に入ることを厳しく監視しました。
藤樹書院・良知館
JR安曇川駅の南東約1.2kmにあります。近江聖人といわれた日本陽明(ようめい)学の祖、中江藤樹(なかえとうじゅ)(1608-48)の住居跡・講堂跡で、国の史跡に指定されています。 この建物は、藤樹の自宅が狭くなったために彼が没する半年前の正保5年(1648)に、門弟や村人たちの協力によって完成したものです。明治時代...
犬上神社(豊郷町)
祭神は日本武尊の第一王子稲依別王(いなよりわけのみこと)で、犬上君の始祖といわれています。王がこの地を治めた頃、農業を勧めたので稲神と称し、犬上の地名は稲神の転じたものとする説があります。神殿はささやかながら犬上郡の鎮守だともいいます。王の子孫は代々犬上郡を領して犬神君と称しました。
茶臼山古墳
茶臼(ちやうす)山(155m)中腹にある県下第2位の規模を誇る大古墳で国指定の史跡です。 古墳時代前期に属する4世紀末から5世紀初頭のものと推定されています。彦坐王(ひこいますおう)とも大友皇子一族の墓ともいわれますが、被葬者については明らかではありません。 全長122m・後円部径70m、高さ8m、前方部の長...
賤ヶ岳古戦場
安土桃山時代、本能寺の変で織田信長が倒れた後、明智光秀を討ち実質的な主導権を握っていた豊臣秀吉と、織田家の旧臣中第一の家柄を誇る柴田勝家との間で権力争いが生じ、ついに武力をもって決着を付けようとしました。これが俗にいう「賤ヶ岳の合戦」です。余呉湖を挟んで、両軍は北と南で睨み合っていましたが、天正11(1583)年の4...
椿山古墳
墳長99mの帆立貝形の前方後円墳で、この形では滋賀県下最大規模。周濠を持っており、栗東市内最大の古墳です。出土品は5世紀前半〜中頃の首長墓で、鉄剣や甲冑などがみつかっています。
湖東三山 西明寺(池寺)
湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)によって再興されました。 門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・...
盛安寺
京阪電鉄石坂線の穴太(あのう)駅から北東へ5分ほど歩いたところにあります。天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)。創建は不明ですが、戦国時代に越前朝倉氏の家臣である杉若盛安(すぎわかせいあん)が再興し、自分の名を付けたと伝えられます。その後、何度か焼失しましたが、その度復興され、現在に至っています。 穴太という土地は...
田川カルバート
かつて、虎姫を流れる田川、姉川、高時川の3川は合流していたため、大雨が降ると、川底の低い田川に水が流れ込み、虎姫は、浸水や水没など、大きな被害をうけました。 水害を防ぐため、明治18年(1885)レンガ・石積み造りのアーチカルバート2連が完成。その後幾度かの改修を経て、昭和41年(1966)現在のカルバートが竣工しま...
里坊庭園
里坊とは、比叡山延暦寺の三塔(東塔・西塔・横川)十六谷といわれた山上の山坊に対する言い方で、山麓にある各堂宇のことです。 里坊は、比叡山の山上で修行していた老僧が座主から賜って住んだのが始まりで、山坊とは違って、普通の住居のように庭園が造られたといわれています。当初、里坊は、いくつあったのか不明ですが、現在は50...
善隆寺(和蔵堂)
水田と山々に囲まれた集落の山裾にある真言宗仏光寺派の寺院。一木造の十一面観音立像は、質素ながら上品で美しい平安中期の作で国の重要文化財に指定されています。
【和蔵堂の仏頭(わくらどうのぶっとう)】 山と田んぼに囲まれた山門の集落にある善隆寺は、年代は明らかはでないが天台宗の寺として創建され、後に延暦寺の末寺...
永源寺
大自然の恵みと人々の英知に支えられて近江湖東の地に悠久の時を刻んできた仏統と格式の古刹。南北朝時代、近江の領主であった佐々木氏頼が、寂室元光禅師(じゃくしつげんこうぜんじ)を開山に迎え、伽藍(がらん)を建立したのが始まり。その後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの修行僧を擁したといいま...