モデルコース

戦国の歴史を垣間見る 近江・城めぐり

日程
1泊2日
エリア
湖東・湖北・東近江

全国的に見ても城・城跡が多数残る滋賀をめぐる

1
名神竜王IC
12km
  • 18分

市街地のすぐ北側、標高271.9mの八幡山山頂にあります。安土城が落城してから3年後、豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が築いた城です。
最頂部に本丸をもうけ、その南東に二の丸、西に西の丸、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡と家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っています。
現在は石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が京都から移築されています。また、秀次館跡からは金箔瓦が多数出土し、とくに秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の飾り瓦が発見されるなど築城当時の豪華さが伺えます。

豊臣秀次(1568〜1595)について
豊臣秀吉の姉・ともの子。秀吉の養子となり関白職を継ぎましたが、後に秀頼が産まれ、後継者を巡る争いにより自害させられました。八幡公園には開町の祖・秀次の銅像が建てられています。
NPO秀次倶楽部(http://www.hidetugu.jp

6km
  • 10分

JR安土駅の北東、標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。国指定の特別史跡です。天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。安土山の南側には、堀が巡っていて往時の名残りを留めています。天主跡と本丸跡には礎石が、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っています。天主閣跡から東へ少し下った黒金門跡(くろがねもんあと)付近には、壮大な石垣もあります。また、山の中腹には家臣団屋敷跡があり、山の尾根づたいに北へ行くと八角平や薬師平があります。城山の中心部への通路は、南正面から入る大手道のほかに、東門道、百々橋口道、搦手道などがあります。
 城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれています。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、...

2.5km
  • 5分

焼失から400余年も経た1992年「スペイン・セビリア万博」の日本館のメイン館展示として安土城天主の最上部5階6階の部分が、原寸大にて忠実に内部の障壁画と共に復元されその姿を現しました。そして博覧会期間中には最も多い入場者数を記録し、人々の日本文化への関心の深さが示されました。
 万博終了後その「天主」を安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に「発掘された当時の瓦を焼きあげて再現した庇屋根」「天人の飛ぶ様を描いた天井」6階部分に「金箔10万枚」を使用した外壁、「金箔の鯱を乗せた大屋根」が取り付けられました。内部には当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせたと伝えられている「金碧障壁画」の再現もされ、現在「平世の安土城」として当館に保存展示しております。また平成27年4月より、VR(バーチャルリアリティ)安土城シアターがopen致しました。約15分間のショートムービー「絢爛・安土城」を上映しております。200インチの大画面で当時の安土をお楽しみ下さい。

0.1km
  • 徒歩2分

当館は、特別史跡安土城跡・史跡大中の湖南遺跡・史跡瓢箪山古墳・史跡観音寺城跡からなる歴史公園「近江風土記の丘」の中核施設として平成4年に開館しました。第1常設展示室では「考古」をテーマに弥生時代、古墳時代の近江にタイムスリップします。第2常設展示室では、「中世・戦国時代」をテーマに、安土城をはじめとする城郭の変遷や織田信長の人物像にせまります。また、企画展示室では、春・秋2回の特別展と夏・冬2回の企画展を開催しています。その他、博物館講座、体験博物館、お茶会、写生大会、ミュージアムコンサートなど地域に開かれた親しみやすい博物館を目指して様々な催しを実施していますので、ぜひご来館下さい。

25km
  • 40分

姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。

<佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)>外側から見て向かって左側は、佐和山城から移築されたもので、国指定の重要文化財です。右側は、開国から100年を記念して鉄筋で作られたもので、「開国記念館」として彦根に関連する資料等の展示が行われています。

<天秤櫓(てんびんやぐら)>羽柴秀吉(はしばひでよし)の長浜城大手門を移築したといわれます。廊下橋を中心に左右対称に櫓が並び立つ姿が、天秤に似ていることからこの名が付きました。この櫓の形は彦根...

3km
  • 10分

彦根駅の北側、佐和山(232.5m)にある城跡です。
 不破(ふわ)の関があった関ケ原(せきがはら)に近く、交通の要衝でした。近江守護佐々木氏によって築城され、天正18年(1590)石田三成(いしだみつなり)(1560-1600)が、佐和山城主となってから、5層の天守を構え、鳥居本(とりいもと)を大手とする立派な城だったといわれています。三成が関ケ原の戦いで破れた後、井伊直政(なおまさ)が新しい城主になりましたが、慶長11年(1606)、彦根城築城にともない廃城になりました。
 建築物の多くは彦根城や麓にある清凉寺(せいりょうじ)、龍潭寺(りょうたんじ)に移築転用され、現在では佐和山城を偲ぶものは、わずかに残った石垣と、後の時代に建てられた石碑だけとなっています。また、山頂からは琵琶湖や比良山系が一望のもとに見わたせます。

20km
  • 30分

戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として過ごした長浜城は、江戸時代前期に廃城になり、遺構は彦根城や大通寺に移築されました。その跡には、僅かな石垣と井戸だけが残されていましたが、昭和58年(1983)に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」を復元されました。内部は歴史博物館として公開されています。
 展示室は2階と3階に分かれており、期間ごとに特別展や企画展が開催されています。2階では、さまざまなテーマに沿って湖北・長浜ゆかりの資料が展示されています。3階では、「秀吉と長浜」をメインテーマに秀吉の他、浅井長政、石田三成といった長浜と関わりの深い人物達の足跡や人物像を紹介した常設展示を行っています。湖北を一望する5階の展望台では、ナレーションや効果音によって、戦国時代における長浜の重要性を実感することができます。

12km
  • 25分

小谷城は、長浜市の小谷山(495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城としていました。築城は大永5年(1525年)ごろで、中世三大山城のひとつです。湖北の大名・浅井長政、戦国一の美女といわれた織田信長の妹、お市の方や、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。城跡からは琵琶湖や湖北の地を一望することができます。
 織田信長との戦いで浅井家が滅んだ後、羽柴(豊臣)秀吉に与えられましたが、秀吉は今浜(いまはま)(現在の長浜)に城を築いたために、そのまま廃城となってしまいました。小谷山全山におよぶ城跡の遺構から、当時の面影を偲ぶとともに、お市の方と3人の娘たちの生涯に思いをはせることができます。
 自然の地形を利用して、東西の尾根づたいに各郭が配置され、本丸、大広間跡などから建物の礎石が出土しました。最頂部の大獄(おおずく)(495m)にも土塁が残っています。清水谷(きよみずだに)には、平時における浅井氏と家臣たちの館跡があります。昭和12年(1937)、国の史跡に指定されています。

1.5km
  • 5分
10
小谷城スマートIC