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正妙寺
千本の手と足を持つ他には例のみられないめずらしい千手千足観音像が安置されています。西野の集落の北はずれ、日枝神社の上手、山の中腹にお堂は建っています。 現在、千手千足観音は、西野集落の中の西野薬師堂の横のお堂に祀られています。 拝観の予約は西野薬師堂と一緒になっています。
全長寺
文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き全長坊(ぜんちょうぼう)と称す。大永6年(1526)全長示寂を前に禅門に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世頤正全養に請うて全長坊を託す。慶長2年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久沢山全長寺と改め、当寺の開山...
西栄寺
丘陵に囲まれた八田地区にある浄土宗の寺院です。平安末期から鎌倉初期の作といわれる木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像は国の重要文化財です。
上葦穂神社
天智天皇9年(670)の社殿建立で、境内には湖南市指定文化財の木造地蔵尊立像が安置されています。
長尾寺
長尾寺は、仁寿年間(851〜854年)に僧三修によって創建されたと伝えられる伊吹山寺の一寺院です。
伊吹山寺とは伊吹山に展開した山岳寺院で、弥高護国寺・太平護国寺・観音護国寺と長尾護国寺をさします。
元慶二年(878年)には、国家公認の定額寺となります。寺の縁起書には白雉二年(651年)の開基と記されています...
若宮八幡宮
応神天皇を祭神とし、社殿は古墳時代後期の古墳の上にあります。
立木観音
JR石山駅から南へ約7.4km、瀬田川沿い西側にある厄よけ観音。 平安時代前期、瀬田川の対岸に光り輝く霊木を発見した弘法大師(こうぼうだいし)が、急流のため渡れないでいると、突然白い鹿が現れて弘法大師を背中に乗せて岩の上を跳んで渡ってくれました。このことから、この地は「鹿跳(ししとび)」と呼ばれるようになりました...
鞭崎八幡宮
JR草津駅の南西約4km、石津寺(せきしんじ)の近くにあります。祭神は息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)。奈良時代前期に大中清麻呂(おおなかのきよまろ)が創建したと伝えられています。昔、上洛途中の源頼朝が、この神社の森を鞭で指して名前を尋ねたことから、鞭崎八幡宮と呼ばれるようになったといいます。 表門は、明治...
常念寺
室町時代に地域で勢力を誇った永原氏の菩提寺です。鎌倉後期作である本尊の木造阿弥陀如来立像は国の重要文化財になっています。境内の石造五重層塔は国指定の重要美術品です。
甲良神社(甲良町法養寺)
神社付近は、甲良大工発祥の地とされており、日光東照宮陽明門をはじめ社殿建造物は、甲良氏一門の作です。
正覚院
開基は、室町時代の末期で真源によると伝えられています。平安時代に造られた木造地蔵菩薩が、地蔵堂に安置されています。
黒田観音寺
伝千手観音立像は平安時代前期のもので、その像容から准胝観音ではないかと言われている。厳しさの中に優しさをのぞかせているような面影で、天平期の特徴を残している。
日牟禮八幡宮
JR近江八幡駅の北西約2.3km、八幡山(271.9m)の南麓にある神社。誉田別尊(ほんたわけのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・比売神(ひめかみ)の三神を祭神とする旧八幡町の総社で、第13代成務天皇が即位の折に創建され、正暦2年(991年)に九州の宇佐八幡宮の神霊を勧進したと伝わります。 約4...
嶺南寺
竜法師地区、忍術屋敷近くにある天台宗寺院。奈良時代末期、良弁の開基。本尊の木造地蔵菩薩坐像は、鎌倉時代の作で、国の重要文化財。
庚申山広徳寺
今から1200年も余り前に最澄が開いたお寺で、真鍮製造の始まりとなった伝説に由来して、各地から参拝者が訪れます。庚申山頂からは甲賀郡内を眺望できます。秋には山全体が紅葉で覆われ、紅葉の名所となります。
持宝寺
水口町の北西にある天台宗寺院。最澄が開基したと伝える。本尊の如意輪観音坐像は鎌倉時代初期の作で国の重要文化財。33年に一度開帳される秘仏です。(※前回は平成5年にご開帳されました)
赤野井別院・東別院
真宗本願寺派赤野井別院(西)、真宗大谷派赤野井別院(東)の2か寺があり、室町期の近江の布教活動の中心となり、蓮如上人ゆかりの寺院として知られています。
赤野井西別院は旧名を「顕証寺」といい、本願寺中興の祖・蓮如上人の時代の道場に直接の起源をもちます。
蓮如上人は、若い頃から守山に京都から足を運んでいました。...
阿弥陀寺(甲賀市)
櫟野地区にある浄土宗の寺院。重文の木造阿弥陀如来坐像・木造聖観音立像・県指定の木造薬師如来立像はいずれも平安時代の作品。
佐久奈度神社
瀬田川の景勝地である鹿跳橋(ししとびばし)を渡って、右手の高台にある神社。奈良時代の創祀です。 「さくなど」という名は、さくなだり(急所)に由来する「ともくなど」の神(境の神)にちなんでいるといわれています。人々は、瀬田川の激流があらゆる罪やけがれを乗せて、流し去ってくれる場所として考えていたようです。平安時代に...
松尾神社
仁寿3年(853)に当時の領主藤原頼平が山城国の松尾大名人を美松山に勧請した後、現在の地に遷座したもので、ウツクシマツは同神社の神木と崇められています。並んで経つ南照寺には松尾芭蕉の句碑があります。