中川清秀の墓

なかがわきよひでのはか

更新日
2021/07/28

    賤ケ岳の合戦は天正11年(1583)4月20日の早暁に、その幕が切って落とされました。大岩山は、左に賤ヶ岳、右に岩崎山、前方に神明山、と味方の軍に囲まれ、比較的安全な砦でした。しかし柴田勝家側の武将左久間盛政は、ここに奇襲をかけたのです。
     砦を守っていた中川清秀は、不意をつかれ驚きましたが、すぐに応戦し、一時は敵を余呉湖岸まで退けました。しかし最後は力尽き、配下の兵数百名とともに討死をとげました。清秀の奮闘によって秀吉の軍は陣営をととのえることができ、戦いに勝てたのです。清秀の訃報を聞いた秀吉は、涙をこらえ切れずに嗚咽したといいます。
     清秀100回忌に立てられた墓は、大岩山中腹のハイキングコース途中にあり、毎年命日には法要が行なわれています。

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