大津城跡
おおつじょうあと
- 更新日
- 2018/05/21
京阪電鉄浜大津駅に近い湖岸のあたりを中心にして立っていた城の跡。安土・桃山時代に、豊臣秀吉が、坂本城にかわり、新たに大津城を築城しました。
現在、城跡碑が立っているあたりが本丸の跡で、広大な面積を持っていたと考えられています。城跡碑のほかには、ほとんど痕跡が残っていませんが、昭和55年(1980)に城郭の石垣と思われる遺構が発掘されました。現在、大津祭曳山展示館横の駐車場に外堀の石垣と思われる遺構もある。
関ケ原の戦で、東軍(徳川家康側)に味方した城主の京極高次(きょうごくたかつぐ)(1563-1609)が、関ヶ原に向かう毛利元康(もうりもとやす)の大軍を食い止めて時間稼ぎをしたという「大津籠城(おおつろうじょう)」は、勝敗を決める大きな要素となったことで有名です。また、徳川家康(1541-1616)が大津城で戦後処理を行ったこともよく知られています。この後廃城となり城は解体されましたが、天守閣の資材の一部は、彦根城に移されたといわれています。
お問い合わせ | 大津駅観光案内所
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