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法華寺
「三献の茶」で知られる秀吉と三成の出会いの地。 豊臣秀吉の奉行として活躍した石田三成は、幼少古橋の法華寺で修行をしており、秀吉に仕官するきっかけとなった「三献の茶」の故事も当地での出来事と伝わっています。秀吉亡き後、関が原の合戦に敗れた三成は、古橋山中に匿われましたが、徳川方の追及厳しく、村人に難儀が及ぶのをはばかり...
津野神社
祭神は「紀角宿弥」で「角凝魂命」「武内宿弥」を配祀する角郷の総地主神です。日置神社とともに、毎年4月第3日曜日には「川上祭」(別名サンヤレ祭)が盛大に行われ、多くの見物客でに賑わいます。
正明寺
日野市街北方の丘陵地にあり、創建は古く千年ほどの歴史を持つ黄檗宗のお寺です。 正明寺は聖徳太子の創建と伝えられており、その昔比叡山延暦寺系の地方大寺として栄えていましたが、戦国時代の戦火を受けて消失しました。江戸時代に入り再興された時は、永源寺の高僧一絲文守大和尚の尽力によって後水尾天皇の勅建寺となり、黄檗禅の中...
宝満寺
愛荘町愛知川にある真宗大谷派の寺院。昔豊満寺といわれ豊満神社の別当寺とされます。江戸時代には愛知郡内他に25寺の末寺をもち、門内に等覚寺・乗船寺の2寺を塔頭とする、善照寺(彦根市)と共に郡内でも規模が大きな寺院でした。現在も、本堂・正門・経蔵・鐘楼・太鼓堂などが往時の面影を伝えています。
宝満寺は、蓮如上人御影道中の...
鶏足寺(旧飯福寺)
ゆるやかな参道の石段、両側のこけむした石垣、台地の佇(ただずみ)は、往時を偲ぶに十分ですが、秋は境内を埋める200本に及ぶもみじの古木の紅葉でより一層の由緒深さを感じるものがあります。 カエデ(モミジ)中心で、色は赤色が美しい。 ※ 鶏足寺は724年に僧行基(ぎょうき)によって創建されたが一度荒廃する。後に799年...
千樹寺
夏の風物詩「江州音頭」の発祥地とされる永源寺派のお寺。奈良時代に行基が創建した四十九院の一つです。戦国時代、織田信長の兵火に合い焼失しますが、本能寺の変で信長亡き後に、近江商人藤野喜兵衛の先祖・太郎右ェ門が寄金して再建しました。その落慶法要の際に住職が境内に人形をたくさん並べお経に音頭の節をつけて唱い、手ふり足ふり拍子...
吉祥寺
木造阿弥陀如来坐像は重要文化財指定で藤原時代の作品です。微笑をたたえた面相からは無限のあたたかさを感じさせられます。
光明寺
五反田地区にある浄土宗寺院。開基・城歴については明らかでない。平安時代作の木造十一面観音像は、国の重要文化財に指定されている。
浄厳院
JR安土駅の南西約700m、東海道本線のすぐ南の家並みはずれにあります。近江源氏佐々木六角氏の菩提寺として建てられた慈恩寺(じおんじ)の旧地に、安土・桃山時代、織田信長が安土城築城とともに創建し、近江・伊賀国両国の浄土宗総本山としたのが始まりです。 境内には、入母屋造の楼門・近江八幡から移された本堂・釈迦堂・鐘楼...
石坐神社
京阪電鉄石山坂本線の錦駅の北、滋賀大学付属小学校の東側にあります。創建年代等は不詳。祭神は彦坐王(ひこいますおう)と、天智天皇、伊賀釆女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)とその子大友皇子(おおとものおうじ)(弘文天皇)、豊玉比古命、海津見神です。前四柱の神像は平安および鎌倉時代の作で、重要文化財に指定されていま...
天孫神社
桓武天皇にいわれのある海運神、10月の大津祭は有名です。 四宮神社ともいわれ、彦火火出見尊、国常立尊、大名伴遅尊、帯中津日子尊の四柱を祀ることから、また、彦火火出見尊が天照大神の第四代目にあたるという説からきている。
大澤寺
奈良時代の行基開基の曹洞宗寺院で、十一面千手観世音菩薩を本尊とします。賤ヶ岳の合戦により堂宇は焼失しましたが、本尊は村人により助け出され、その後、菅山寺の中興の法師によって再建されました。 鐘堂に吊るされている釣鐘は応永19(1412)年の銘があり、賤ヶ岳の合戦に柴田勝家の家臣、佐久間盛政が敵の羽柴秀吉の軍兵が着...
芦浦観音寺跡
天台宗寺院の芦浦観音寺は、応永15年(1408年)に歓雅によって再興されたと伝えられています。歴代住職のうち、特に芦浦観音寺三傑僧と呼ばれた八世賢珍・九世詮舜・十世朝賢らはそれぞれ織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった天下人と交わりを持っており、そのうち九世詮舜は、秀吉より琵琶湖湖上交通を管理する船奉行に任命され、また...
高野大師堂
高月町高野の高野神社の大師堂に安置されている像は、天台宗の開祖・伝教大師(最澄)の肖像と伝えますが、そのお姿から比叡山中興の祖・慈恵大師良源(元三大師)を表しているとみられます。弘安6年(1283年)仏師院信によって作られたことが判明し、国の重要文化財に指定されました。
大崎寺(大崎観音)
真言宗智山派の寺院です。近江西国9番の札所で、俗に「大崎観音」の名で親しまれています。 奈良時代に泰澄によって開基され、尊像は聖徳太子の作といわれています。境内の千貫松(せんかんまつ)・弁天松(べんてんまつ)と呼ばれる老松、春には美しい桜が見事な景観を作り出します。 「石立の山をしるべに法の道、仰ぎに近い大崎の寺」...
福之島弁財天
戦国時代の天文年間に、文吉という信心深い漁師がいました。ある日嵐で難破したにもかかわらず一命をとりとめました。その夜の夢に弁財天が現れ「日頃の信心からおまえを助けた」と告げられたため、打ち上げられた砂寄州に祠を建てたのがはじまりと伝えられている。かつての弁天島周辺の湖底からは縄文時代の遺物が発見されている。
柏木神社
水口城歴代藩主の祈願所 社伝によりば白鳳期の創建と伝え、大己貴命と誉田別命を祀り、柏木荘16ケ村の鎮守社として信仰を集めました。天正8年織田信長の軍勢が当地を攻めた時、楼門は安土の総見寺に移され、宝物、古文書は焼失しました。現在の楼門は日野町の中山寺の寺門です。
小野篁神社
JR和邇駅から南へ約1.1kmのところにあります。小野神社の末社で同境内地にあり、小野篁(おののたかむら)(802-852)を祀っています。小野篁は平安時代の歌人であり政治家です。少年時代は乗馬に専念して学問をを顧(かえり)みませんでしたが、後に漢詩文で名を挙げ、31歳で『令義解(りょうのぎげ)』の撰修に参画しました...
神照寺
西暦895年宇多天皇の勅願所として創建された。現在は真言宗の古刹。本尊は大日如来さま。国指定の重要文化財千手観音様は、半肉彫り(はんにくぼり)という一木造りで肉厚の浮き彫りのような仏さま。国宝の華籠は金銀の透かし彫りが美しい散華という紙製のはなびらをまく儀式のときに僧侶が持つ金属製の花皿です。浅井長政公の不動明王さまは...
馬見岡綿向神社
近江鉄道日野駅の東約3.8km。もとは、綿向山(1110m)の頂上に鎮座していましたが、蒲生氏が城下町を開いてから現在地に移され、湖東の大宮として信仰を集めました。 昔、山頂から2羽の雁が飛んできて消えたのを見て、村人たちが神が降りてきたと思って、山麓に社を建てたという話が残っており、このことから「二羽雁」が神紋...