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東門院
平安時代の延暦年間(782~805年)に「比叡三千坊」といわれる比叡山の僧坊のひとつとして最澄が開いたとされ、正式名は「比叡山東門院守山寺」といいます。
江戸時代には江戸に向かう朝鮮通信使の宿舎にもなりました。
滋賀県でも重要な寺院が名を連ねる近江西国三十三カ所霊場に数えられている名刹で、本尊の「十一面観音...
中山道愛知川宿
中山道65番目の宿場。八幡神社・宝満寺のほか、問屋跡・一里塚跡の石碑などから往時を偲ぶことができます。「愛知川宿まちかど博物館」の店舗を頼りに散策してみませんか。(写真:藤沢和美氏撮影)
坂本
比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本には約50ヵ寺の里坊があります。里坊は、山上での修行を終えた老僧に与えられた坊舎で、いずれの里坊にも自然石を用いたり、借景などの趣向を凝らしたみごとな庭園があり、サツキ、紅葉、苔などが美しい色合いを見せています。 一帯は平成9年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています...
いろは松
いろは松は中濠沿いの松並木で、江戸時代「松の下」と呼ばれていました。この場所は藩主の参勤、着城で必ず通る場所で、当時47本植えられていたことからいろは47文字にちなみ「いろは松」と呼ばれるようになりました。当初、人馬や車などの通行の邪魔にならないよう、根が地上に張り出さない土佐松が植えられました。
菅浦集落
菅浦の地には、奈良時代恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で道鏡や孝謙上皇に負け、廃位になった淳仁(じゅんにん)天皇が住んでいたという伝説が残っている。淳仁天皇は、幽閉地で憤死したといわれ、須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っている。菅浦の村に入る東西の道には、四足門と呼ばれる茅葺きの門が残っている。かつては、ここ...
北国街道(長浜宿)
琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、県境の栃ノ木峠をへて北ノ圧に通じる北国街道は、かつて北陸と京阪神を結ぶ重要な街道でした。多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用、長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄えた町です。 街道沿いには今も、港町の風情を残す舟板塀や紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠(むしこ)...
長光寺(花の木寺)
長光寺の始まりは、聖徳太子が老蘇の森に仮官された時、高階の妃は御難産でしたので、太子は妃に「仏法を信じ仏の加護を祈りなさい」とお諭しされます。妃はひたすら諸仏の慈悲を仰がれた所、西南の方より仏の使いが来て、「汝が願いは、正しく観世音が救い給う」と言って、仏の使いは飛びさり、妃は安産されました。 太子が使いを派遣された...
真言宗長光寺
長光寺は弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峯寺を本山とする高野山真言宗のお寺です。正面に本堂、右に大師堂、左に不動堂を配します。御本尊は『千手子安観世音菩薩』です。聖徳太子御建立四十九院の一つであって、其の当時にあっては壮広たる七堂伽藍であったことが古書に依って知られます。 抑も長光寺の始まりは、聖徳太子が老蘇の森に仮宮...