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いろは松
いろは松は中濠沿いの松並木で、江戸時代「松の下」と呼ばれていました。この場所は藩主の参勤、着城で必ず通る場所で、当時47本植えられていたことからいろは47文字にちなみ「いろは松」と呼ばれるようになりました。当初、人馬や車などの通行の邪魔にならないよう、根が地上に張り出さない土佐松が植えられました。
堅田
浮御堂で知られる堅田は、琵琶湖の北湖と南湖を分ける狭くなった西岸に位置し、湖上交通の要衝でした。そのため、堅田を寺領としていた延暦寺が、「堅田浦」という湖上の関所を設けたり、賀茂社も湖上通行権を与えるなどして、強い湖上権を背景に町は潤い、その後も漁業権などによって琵琶湖の漁業の一大拠点となっていきました。現在は、当時の...
旧池田屋敷長屋門
旧池田屋敷長屋門は、彦根城の中堀に近い第三郭に建っています。かつて、池田屋敷のあった尾末町一帯には、中級武家屋敷が広がっていました。当建造物は彦根藩中級武家屋敷の典型をなす貴重な長屋門として、昭和48年に彦根市指定文化財に指定されています。 地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(通称 歴史まちづくり法...
石部宿小島本陣跡
石部宿には、幕府直轄と膳所藩直轄の2つの本陣が置かれ、全盛期には旅籠32軒を含む458軒が街道の両脇1.6キロメートルにわたって建ち並び、東海道五十一番目の宿場町として栄えました。 数多くの大名や明治天皇なども宿泊した小島本陣は、慶安三年(一六五〇)に創建されました。
中山道・柏原宿
JR東海道本線柏原(かしわばら)駅のあたりを中心に、かつて柏原宿が広がっていました。東西13町(約1.5km)にもおよぶ中山道の中でも大規模な宿場町で、344軒の家があったと伝えられていますが、現在では、常夜灯(じょうやとう)や街道沿いの宿場町特有の2階建の軒の低い数軒の家が面影を伝えています。 京から江戸へ向か...
一里塚
一里塚は街道の両側に一里ごとに置かれたもので、東海道では慶長九年に江戸日本橋を起点として整備された。水口町域では今郷・林口・泉の三ケ所に設けられている。旅人のよき目印ともなったが、明治維新後いずれも撤去された。
東海道伝馬館
東海道や土山宿の情報発信の拠点施設です。隣接する東海道筋には、宿の管理と運営を行っていた問屋場跡があり、古い町並みの景観を活かしつつ、東海道や宿・伝馬制度をテーマにした展示を行っています。館内には、問屋場の復元展示、街道や宿についての展示、特産品販売コーナー、体験工房などがあります。
高札場跡・常盤館跡
高札場とは、幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所です。現在の県道113号線(とんや道)と旧東海道の交差点の道路の中ほどのあたりで問屋場の横にあったと伝えられています。
また現在の高札場跡の南側には、本格的芝居小屋「常盤館」があったと伝わっています。