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近江商人の町並み(新町通り)

近江商人の町並み(新町通り)

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近江八幡市
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JR近江八幡駅の北方約2km前後の新町周辺は、古い町並みがよく保存されています。国の重要伝統的建造物保存地域。江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして、その保存運動が展開されています。
 西側に旧西川庄六(しょうろく)宅、森五郎兵衛(ごろべえ)宅、3丁目の京街道筋には...

豊郷小学校旧校舎群

豊郷小学校旧校舎群

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豊郷町
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昭和12年(1937年)に近江商人の一人で当時の丸紅の専務であった古川鉄治郎氏によって
寄附された小学校。近江八幡市を中心に活動していたウィリアム・M・ヴォーリズ氏によって設計されたヴォーリズ建築。当時としては珍しい鉄筋コンクリートでできた建物で、水洗トイレや暖房設備、内線電話などの最先端の設備を完備、最新の教材を備...

中山道番場宿

中山道番場宿

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米原市
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長谷川伸の戯曲『瞼の母』で一躍脚光を浴びた山里の宿場町です。付近には一向上人開山と伝わる蓮華寺や、脇本陣跡といったみどころがあります。

横田渡常夜燈

横田渡常夜燈

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甲賀市
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野洲川のこの辺りを横田川といい、江戸時代の参勤交代等で通行量が増加すると渡し船や渡し賃の制度が整えられました。この「渡し」を物語るのが泉側に立つ常夜燈。往時は夜も通行が絶えず、対岸の渡し場の目印として文政5年(1822年)に建設されたもので東海道随一の規模を誇っています。

白雲館(旧八幡東学校)

白雲館(旧八幡東学校)

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近江八幡市
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白雲館は明治10年(1877年)に八幡東学校として、当時のお金6千円で設立されました。建設に際しては、八幡商人の熱意と区民の協力により、西洋建築の様式と、日本の伝統技術をとり入れ建築されたものです。
現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。
また、2階フリースペースでは、市...

八幡堀

八幡堀

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近江八幡市
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八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える基礎となった町の一大動脈です。
近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に大きな役割を果たし賑わいを見せたといいます。
昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって不要となった八幡堀は廃れ、ドブ川となり、埋め立ての予...

海津の町並み

海津の町並み

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高島市
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町の東部、海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり港町です。湖岸には、風や波から家を守るために延々と続く石積みが残されており、独特の風景を形成しています。
 この石積みは、江戸時代に、この地の代官の西与一左ェ門(にしよいちざえもん)によって作られた古いもので、まるで城壁を思わせる立派なものです。宿場町...

沖島

沖島

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近江八幡市
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近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5㎞に浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8㎞、面積約1.53k㎡で琵琶湖最大の島です。約250人の人が住んでいます。湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています
 市内への交通手段はもちろん船。通学、通勤用に定期便も運行されています。
 長命寺山や鈴鹿...

一里塚

一里塚

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甲賀市
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一里塚は街道の両側に一里ごとに置かれたもので、東海道では慶長九年に江戸日本橋を起点として整備された。水口町域では今郷・林口・泉の三ケ所に設けられている。旅人のよき目印ともなったが、明治維新後いずれも撤去された。

北国街道 木之本宿

北国街道 木之本宿

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長浜市
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地蔵院の門前町として栄えたところ。
北国街道と北国脇往還が交わる宿場町で、旅人と木之本のお地蔵さんの参拝客で賑わいました。
木之本宿には昭和の初めまで中央に小川が流れ、柳の木が植えられた宿場らしい風情を残していましたが、今では埋め立てられ、商家の家並みに昔の風情を残しています。

窯元散策路

窯元散策路

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甲賀市
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信楽駅前から続く古いたたずまいの路。登り窯や無造作に積まれた古い火鉢、「陶生町」「焼屋町」といった町名が、陶都信楽ならではの風情をかもし出しています。道路に埋め込まれた陶板や陶製の道標を楽しみながら、点在する工房をめぐれば、きっとお気に入りのうつわに出会えるはずです。

かわらミュージアム

かわらミュージアム

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近江八幡市
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八幡瓦と八幡の歴史をテーマにしたミュージアム。
 近江八幡は城下町として、また近江商人のまちとして繁栄し、発展をとげました。往時の町並みなどの歴史的景観に大変恵まれ、周辺は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
 「瓦」は屋根の表情をつくり、屋根の連なりが、まちの景観を支えてきたという視点で「かわら」...

いろは松

いろは松

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彦根市
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いろは松は中濠沿いの松並木で、江戸時代「松の下」と呼ばれていました。この場所は藩主の参勤、着城で必ず通る場所で、当時47本植えられていたことからいろは47文字にちなみ「いろは松」と呼ばれるようになりました。当初、人馬や車などの通行の邪魔にならないよう、根が地上に張り出さない土佐松が植えられました。

旧和中散本舗

旧和中散本舗

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栗東市
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<栗東八景〜積日の海道と城跡〜>
JR手原駅の東約2km、旧東海道沿いの六地蔵にあります。大角弥右衛門家の邸宅のことで、豪商の昔の姿をそのまま今に留めています。
六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。薬を売るだけでなく、...

粟津の晴嵐

粟津の晴嵐

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大津市
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近江八景の一つ。東海道の膳所から瀬田までの松並木を描いた「粟津の晴嵐」は強風に枝葉がざわめく様子から晴嵐と言われたとか。「粟津の晴嵐」の風景を復元した、松の並木が連なる静かな遊歩道を歩き、湖岸沿いに広がるなぎさ公園でひとときを楽しめます。

逢坂山関址

逢坂山関址

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大津市
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京阪電鉄大谷駅の東約100m、国道1号沿いに「逢坂山関跡」の記念碑が立っています。
 逢坂越は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝でした。
 古くから貴族や武将をはじめ、文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)がこの道を通過し、この関所や峠を題材にした作品が万葉集や古今集に多く残...

旧鳥居本宿

旧鳥居本宿

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彦根市
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鳥居本は、江戸から数えて中山道(なかせんどう)六十七次の第六十三にあたる旧宿場町です。
 町の北はずれの国道8号と交わるあたりの松並木、約2km続く袖塀に格子構えの家並みや看板が、旧街道の雰囲気をかもしだしています。鳥居本は、合羽(かっぱ)が特産で、本家合羽と書かれた古い木製看板は、道中合羽(どうちゅうかっぱ)を製...

堅田

堅田

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大津市
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浮御堂で知られる堅田は、琵琶湖の北湖と南湖を分ける狭くなった西岸に位置し、湖上交通の要衝でした。そのため、堅田を寺領としていた延暦寺が、「堅田浦」という湖上の関所を設けたり、賀茂社も湖上通行権を与えるなどして、強い湖上権を背景に町は潤い、その後も漁業権などによって琵琶湖の漁業の一大拠点となっていきました。現在は、当時の...

しみんふくし滋賀 野間清六邸

しみんふくし滋賀 野間清六邸

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近江八幡市
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延享時代(1744年)に茨城県に出店し、結城の御三家と言われるほど勢力を誇りました。日清戦争の頃、「日本誉」という酒を販売した折り、時勢と合致し大きく売上を伸ばしたと伝えられています。最後の当主は、芸術を愛したことでも知られ商売、自ら廃業しました。現在は、しみんふくし滋賀が管理をし、祭事等には特別公開をされます。

ながはま御坊表参道

ながはま御坊表参道

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長浜市
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「ごぼうさん」の名で親しまれる大通寺の門前通り。道路は石畳化され歴史的な景観を作り出しています。夜は山門がライトアップされ、一段と趣があります。