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五個荘近江商人屋敷(外村繁邸・中江準五郎邸)
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- 東近江市
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国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「五個荘金堂の町並み」にある、白壁と舟板塀が特徴の近江商人屋敷です。
◎外村繁邸
外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年「筏」が野間文学賞を受賞した滋賀を代表する作家です。
外村宇兵衛家の分家として江戸時代末期に建てられた屋敷...
近江鉄道日野駅舎(日野駅鉄道ミュージアム)
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- 日野町
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大正13年(1914)に建てられ、100年以上の風雪に耐えてきた駅舎を、「木造駅舎の木のぬくもり」「懐かしい雰囲気」が失われないよう柱1本に至るまで活かした「再生工法」により改修・再生。
駅舎内にはカフェと観光案内、交流スペースが一体となった観光案内交流施設「なないろ」があり、日替わり店主カフェが人気となっていま...
長浜城(長浜城歴史博物館)
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- 長浜市
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戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として過ごした長浜城は、江戸時代前期に廃城になり、遺構は彦根城や大通寺に移築されました。その跡には、僅かな石垣と井戸だけが残されていましたが、昭和58年(1983)に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」を復元されました。内部は歴史博物館として公開されています。
展示室は2階と3階に分...
東アジア交流ハウス雨森芳洲庵
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- 長浜市
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雨森芳洲の生涯をたどり、思想や業績を顕彰するとともに、東アジアとの交流と友好をめざす拠点であり、大きなケヤキのそびえる敷地からは、遠く己高山に連なる山々が望まれます。静かな佇まいの庵内には、芳洲の著書や遺品、芳洲が深く関わった朝鮮通信使の資料などを展示しています。
水口城跡(水口城資料館)
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- 甲賀市
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近江鉄道水ロ城南駅の北約150mのところにある城跡。江戸幕府3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)が上洛の際の宿館として築城された後、水ロ藩2万5千石の居城となり、湧水を利用した堀に水をたたえていたことから「碧水城(へきすいじょう)」の別名がありました。
明治維新後、水ロ城は廃城となり公売に付され、角櫓(すみやぐら...
近江神宮時計館宝物館
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- 大津市
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近江神宮境内にある博物館。各種の和時計や江戸初期の懐中時計など約180点の時計、重要文化財・楼閣山水図屏風(曾我蕭白筆)の高精度複製品など、奉納された絵画や陶芸などが展示されている。昭和38年にわが国最初の時計博物館として設立され、平成22年に時計館宝物館としてリニューアルした。
館外にも漏刻・日時計・古代火時計が設...
滋賀県立安土城考古博物館
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- 近江八幡市
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「安土城と信長・戦国をテーマとする唯一無二の博物館」として、2025年3月にリニューアルオープンしました。
信長が築城した当時の安土城を高精細フルCGにより復元した映像を上映する第一常設展示室、信長や安土城に関する歴史資料、戦国時代の近江、観音寺城(近江八幡市)や小谷城(長浜市)に関する資料を展示する第二常設展示室が...
冷水寺・胎内仏資料館
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- 長浜市
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正面厨子の十一面観音像は、その台座内に戦火に焼かれた胎内仏を持つ「鞘仏」です。賎ヶ岳の合戦の際、柴田勝家軍の焼き討ちにより焼け傷み、江戸時代・元禄年間、このさや仏と台座をつくり、黒こげになった痛ましいお姿の旧本尊をおさめました。出開帳仏であったという脇仏十一面座像は、現在、高月歴史民族資料館に展示されています。
近年...
近江八幡市立資料館(歴史民俗資料館)
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- 近江八幡市
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JR近江八幡駅の北西約2kmに市立資料館と隣接しています。
歴史民俗資料館は、森五郎兵衞の控宅で、近江商人(八幡商人)の往時をしのぶ帳場風景や生活様式をそのまま残し、そのほか多くの民俗資料を展示公開しています。裏庭には、民具。農具などが展示され、水郷地帯の農村の生活を知ることができます。
初代五郎兵衞は、伴...
ヴォーリズ記念館
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- 近江八幡市
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木造の外壁と赤い瓦屋根に白い煙突を持った瀟洒な洋館が、ヴォーリズ記念館です。この洋館は、アメリカから英語教師としてこの地にやって米た一柳米来留(メレル)(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、1880-1964)の居宅をそのまま記念資料館としたものです。近江八幡市の名誉市民第一号となった彼の功績を讃え、83年間にわたる生涯...
葛籠尾崎湖底遺跡資料館
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- 長浜市
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葛籠尾崎湖底遺跡史料館は、世界で最も深い湖底にある葛籠尾崎湖底遺跡の資料館です。
葛籠尾崎湖底遺跡は、琵琶湖に突き出した葛籠尾崎の先端から東沖6メートルから700メートル、岬の湖岸に沿って北へ数キロの範囲で、水深10〜70メートルの湖底にある遺跡で、その成り立ちは謎に包まれています。このからは縄文土器や弥生土器、土師...