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湯谷神社
その昔、出雲の人が諸国行脚の途中に、この地で湯泉を見つけ祠(ほこら)を立てたのが湯谷神社のはじまりと伝えられています。 毎年10月に行なわれる米原曳山まつりでは、いつも静かな社が、熱気と祭シャギリに包まれます。
金胎寺
天智天皇の時代(668〜671)に創建と伝えられる古刹です。元々、金勝寺二十五別院の一つで法相寺と称した時期もありましたが、のち義淵が金胎浄願寺と改称、貞元年中(976〜978)に蓮秀が中興したと言われています。天台宗に属していましたが、戦国期に浄土宗に改められ、今日に至っています。 本尊の木造阿弥陀如来と両脇侍像...
神田神社
JR堅田駅の北西約1.5km、宮池の近くにある神社。祭神は、彦国葺命須佐之男命(すさのおのみこと)ほかです。 創建は平安時代初期、本殿の建立が室町時代初期といわれています。優美な姿の本殿は、重要文化財に指定されており、側面や細部の彫刻などに建立当時の特色を表しています。特に、階段の上の真正面に菱(ひし)の格子がきっ...
東福寺
天台真盛宗である東福寺は平安時代後期の開基のころは仁安寺といい、七堂伽藍を構える巨刹でした。
現在は小寺ですが、平安後期の作で端正な容貌で大きな慈悲の心を表現した本尊の薬師如来坐像は国指定の重要文化財です。 他にも同じく平安時代の作とされる木造如来形坐像と木造菩薩形立像は県指定文化財に指定されています。
長久寺
本堂は井伊家家老の庵原主税助朝真の寄進により再建されました。その意匠は桃山時代の気風をもち、小規模ながら均整のとれた建物です。真言宗の寺院で、寺宝に、井伊家より拝領のお菊の皿があります。
大行社
金剛輪寺の南参道入口近くにあり、その鎮守社として役割をもっています。本殿は三間社流造り、屋根は檜皮葺で、国の重要文化財に指定されています。
千代神社
昭和40年、現在地に解体移築されました。彩色塗装も美しく、蟇股や長押など極彩色塗りです。重要文化財に指定されています。
西栄寺
丘陵に囲まれた八田地区にある浄土宗の寺院です。平安末期から鎌倉初期の作といわれる木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像は国の重要文化財です。
岩尾山(息障寺)
町域南西部、三重県境にそびえる岩尾山は、その名のとおり岩で覆われた標高471mの霊山です。平安時代初期に最澄が開山しました。修験者、忍者の修練山で、中腹には屏風岩などの奇岩が点在しています。馬の形をした「おうま岩」、扇を開いたような「扇岩」や、たたくと木魚の音がする「木魚岩」など、その名もユニークです。また、頂上から...
見性庵
創立は不明。本尊は、観世音菩薩で国の重要文化財、大般若経43巻が現存します。
宇和宮神社
創建は不明ですが、室町時代に造立された本殿がこんもりとした森の中にたたずんでいます。本殿蟇股に狐の彫刻が施されており、国指定の重要文化財になっています。
来照寺 庭園
庫裡書院北面に広がる枯山水庭園。彼方に西日に輝く琵琶湖が見渡せ、江戸時代に「西方極楽浄土の庭園」として作られました。石組みの技法が優れています。
大津別院
JR大津駅から北東へ約500mのところにあります。真宗大谷派東本願寺(ひがしほんがんじ)の別院です。石山本願寺で織田信長に徹底抗議したことで有名な教如(きょうにょ)が、江戸時代初めに創建しました。創建や再建のときには、大津町の有力な豪商たちが上地や金銀を寄進したといわれ、庶民の間にも信仰が篤かったことがよくわかります...
筑摩神社
日本三大奇祭のひとつ「鍋冠まつり」で有名な筑摩神社は、古代から皇室に鮒鮨(ふなずし)などの食糧を貢納していた筑摩御厨(ちくまみくりや)が置かれ、一千年の歴史を持つ「筑摩」という地域に建っています。 「鍋冠まつり」は5月3日の神社例祭の日におこなわれ、色鮮やかな狩衣姿に張子の鍋をかぶった数え年8つの少女たちが渡御し、本...
常栄寺
曹洞宗の寺院で山号は龍王山と称し、越前小林寺に属します。本尊は釈迦牟尼仏。湖西随一といわれる山門は、荘厳さ溢れる楼門です。
妓王寺
JR野洲(やす)駅の北約3kmにある浄土宗の寺院です。「平家物語」で知られる白拍子(しらびょうし)の妓王(ぎおう)・妓女(ぎじょ)姉妹とその母と佛御前の菩提を弔うために建てられた小寺と伝えられています。 妓王・妓女姉妹は、この地に居館を構えた橘次郎時長(たちばなのじろうときなが)の娘として生まれ、京の都で白拍子と...
千樹寺
夏の風物詩「江州音頭」の発祥地とされる永源寺派のお寺。奈良時代に行基が創建した四十九院の一つです。戦国時代、織田信長の兵火に合い焼失しますが、本能寺の変で信長亡き後に、近江商人藤野喜兵衛の先祖・太郎右ェ門が寄金して再建しました。その落慶法要の際に住職が境内に人形をたくさん並べお経に音頭の節をつけて唱い、手ふり足ふり拍子...
蓮生寺
蓮生寺は、金森の道西とともに蓮如に「左右の手」と称された弟子・了西を初代とし、以来湖南地域の本願寺門徒たちの間で中心的な役割を担ってきた寺院です。 境内では、春にサクラ・ツツジ、秋にタラヨウ(ハガキの木)の果実が見ごろを迎えます。
元亀元(1570)年本願寺が織田信長と対立し、翌年守山の門徒たちが蜂起した際、蓮...
安楽律院
江戸時代、戒律主義を唱えた僧、妙立、霊空ら安楽律一門が、叡山の三魔所といわれる飯室谷に住んだのが始まり。火災のため堂宇はほとんど消失したが、境内は今なお荘厳な雰囲気が漂っている。近くに飯室不動堂があり、不動明王立像を納める。
安楽寺(長浜市)
かつて藤原不比等の別荘地であった場所に、鎌倉中期、安楽精舎を建立したのが始まりです。開山は、東福寺の開祖聖一国師の高弟仏智禅師によります。足利尊氏の庇護を受けて、一時隆盛を極めたが、戦国時代、姉川合戦の折に焼失、50数年後の江戸初期に、彦根藩主井伊直孝によって再建されました。臨済宗妙心寺派の寺院です。 本尊の釈迦...