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万葉の森 船岡山
近江鉄道市辺駅のすぐ北方の船岡山の頂上にあります。自然の巨岩に「元暦校本万葉集」の原本そのままの文字を彫りこんだ石板がはめこんであります。 歌は、「茜(あかね)さす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖ふる」(額田王(ぬかたのおおきみ))「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故(ゆ...
月心寺
京阪電鉄京津線の大谷駅から西へ歩いてすぐのところにある寺院。歌川広重(うたがわひろしげ)が描いた東海道五十三次にある大津の錦絵には、溢れ出る走井(はしりい)の水のそばの茶店で旅人が休息している姿が見られますが、この茶店が現在の月心寺といわれている。日本の名水として広く知られたこの走井の水は、多くの詩歌や文学作品に登場...
猪子山公園
北向岩屋十一面観音やおよそ40基の古墳を有する猪子山は、桜の名所としても知られています。園内には遊歩道が整備され、散策が楽しめます。山からは市街を一望できます。 3月下旬から4月上旬までは、さくらまつりが開催され多くの花見客でにぎわいます。
藤樹書院
近江聖人といわれた日本陽明(ようめい)学の祖、中江藤樹(なかえとうじゅ)(1608-1648)の住居跡・講堂跡で、国の史跡に指定されています。 この建物は、藤樹の自宅が狭くなったために彼が没する半年前の正保5年(1648年)に、門弟や村人たちの協力によって完成したものです。明治時代に、現在のように再建されています。内部...
水口宿東見附跡
宿の東端に設けられたもので、枡形土塀と柵で区画し、木戸や番所を置き旅人を監視しました。これに対し宿の西端には西見附が置かれ、それぞれ「江戸口」と呼ばれました。「伊勢参宮名所図会」は水口の場面に東見附と付近の町並みを大きく描いています。
井口の銅鐘
寛喜3年(1231年)の作とされる現存する県内最古の梵鐘である。浅井三代の時代から300年も前に造られたものだが、その鐘にも「浅井氏」の名が刻まれている。上帯に雲、下帯には水を唐草様に陽鋳出する類例の少ないものです。
東門院
平安時代の延暦年間(782~805年)に「比叡三千坊」といわれる比叡山の僧坊のひとつとして最澄が開いたとされ、正式名は「比叡山東門院守山寺」といいます。
江戸時代には江戸に向かう朝鮮通信使の宿舎にもなりました。
滋賀県でも重要な寺院が名を連ねる近江西国三十三カ所霊場に数えられている名刹で、本尊の「十一面観音...
岩戸山 十三仏
山箕作山の南端の巨大な1枚岩に聖徳太子が刻んだとされる13体の仏像が安置されています。 裾から山頂まで続く道(30分程度)の両脇にも、石仏が安置されています。毎年4月には千日会が行われ信仰の深い人々で賑わいます。
地山古墳
周濠を持つ帆立貝形の前方後円墳。椿山古墳よりやや小さい墳長88メートルの規模で、栗東市で第二の古墳。埴輪がたくさんみつかっており、5世紀前半につくられた首長墓とされています。
彦主人王御陵
檜並木の参道の奥にある通称"王塚"の中にあります。 面積は約2840平方メートル。2段重ねの円墳で、周囲の3基の古墳より格段に規模が大きく、古墳時代中期のものと考えられています。被葬者は、継体(けいたい)天皇の父である彦主人王と伝えられています。安曇川町は、継体天皇にまつわる伝承地が多いことでも知られています。
大岡古墳
あけぼのパーク多賀から徒歩10分程の所に、町指定史跡の大岡古墳が保存されています。石室内部は入口から奥壁まで1m近く土砂に埋没していますが、側壁の一部抜き取り穴から、内部の様子を伺うことができます。見学自由
寝物語の里
岐阜県との県境にあるこの史跡は、江濃国境にまつわる「寝物語」の伝承地です。
昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊まり客どうしが、寝ながら話しができたことから付いた呼称です。 安藤広重の「木曽街道六十九宿」に描かれた今須宿の図は、この地を描いたものです。現在宿等はなく、石碑のみが建っています。
馬頭観世音
江戸時代後期、中山道を往来する馬の息災延命を祈り、建立されました。
埋木舎
いろは松のわき道を北に入った旧中堀に面して立つ簡素な武家屋敷で、門前に碑が立っています。井伊直中の第14子として生まれ、5歳で生母を、17歳で父を亡くした井伊直弼(いいなおすけ)(1815-60)が、17歳から32歳までの15年間捨扶持わずか300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼は、ここで主に身心の修練...
福林寺跡磨崖仏
JR野洲(やす)駅の南東約1.3kmにある小磨崖仏群(しょうまがいぶつぐん)。野洲中学校の裏道から林道を入った静寂な地に、ひっそりと横たわっています。 磨崖仏は、大きな岩に高さ約45cmの地蔵菩薩立像13体が平肉彫りされています。また、近くの大きな岩には、阿弥陀如来像2体と観音立像1体が彫り出されています。どちら...
膳所城跡公園
近江大橋西詰のすぐ南側に突き出た地にあった膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せ...
鏡神社
南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されている朝鮮半島の新羅から製陶技術(渡来文化)を伝えた天日槍を祀る神社です。本殿は三間社流造り、屋根はこけら葺きで、国の重要文化財に指定されています。
今井兼平の墓
JR石山駅の北西200m、盛越(もりこし)川のほとりに立つ墓です。 今井兼平(1152?-84)は木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)と乳兄弟にあたる平安時代末期の武将で、木曽の四天王とも呼ばれていた人物です。ここ粟津(あわづ)で義仲とともに戦って悲壮な最期を遂げました。義仲が討たれたことを知ると、自ら刀を口...
平家終焉の地
野洲(やす)市は平家が果てた最期(さいご)の地です。平安時代末期、壇の浦の合戦で平家一門が滅ぼされ、一門の大将・平宗盛(たいらのむねもり)と息子清宗(きよむね)が鎌倉から京都へ送り返される途中、近江篠原(おうみしのはら)で斬殺されました。 現在、屍(しかばね)を埋めたとされる宗盛・清宗親子の墓標がひっそりと立って...
祥瑞寺
華叟宗曇が開祖の寺院で、その弟子である一休宗純が青年時代ここで修行をしたことで有名。