モデルコース

旧中山道を訪ねて

日程
1日
エリア
湖南

1階は、無料情報検索コーナーで、2階は、有料の展示室になっています。
 2階の展示室では、江戸時代の草津宿を再現した200分の1の模型を始め、道中着の半合羽、薬入れ、胴巻き財布など旅道具を紹介しています。
 「旅体験コーナー」では、訪れた人たちが、実際に道中着を身に付けたり駕籠をかついで江戸時代の旅を体験できます。

0.3km
  • 徒歩3分

JR草津駅の南約500m。周囲には高塀や藪をめぐらし、国の史跡に指定されています。 本陣とは大名公家など貴人の宿泊所のことで、東海道・中山道の分岐点で交通の要衝であった草津には2軒ありました。現在、1軒が残っており、別名「木屋本陣(きやほんじん)」と呼ばれています。 寛永(かんえい)12年(1635)に創建されましたが後に焼失し、膳所(ぜぜ)藩主本多家(ほんだけ)の「瓦ヶ浜(かわらがはま)御殿」を拝領したものといわれ、4727平方メートルという広大な敷地に、建物面積1706平方メートル、部屋数39という本陣としては最大クラスの屋敷です。書院造で表門、御除門、敷台付き玄関に庭という、本陣としての型通りに建てられてあり、東海道筋では唯一ほぼ完全に残っている本陣です。建物のほかにも、多数の関札(せきふだ)、膨大な大福帳(だいふくちょう)(宿帳)など貴重な資料が残されています。大福帳には、忠臣蔵の吉良上野介(きらこうずけのすけ)や浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、皇女和宮(こうじょかずのみや)、シーボルト、新撰組(しんせんぐみ)の土方歳三(ひじかたとしぞう)などの名前も見られます。

1.1km
  • 徒歩13分

JR草津駅の北東約lkmの旧中山道沿いにある古社。祭神に須佐之男命(すさのおのみこと)・寒川比女命(さむかわひめのみこと)などを祀り、雨乞いに霊験があると伝えられています。創建年代や由緒については詳しくはわかっていません。
 本殿は、社蔵の棟札によって応仁2年(1468)に建立されたとされ、国の重要文化財の指定を受けています。蟇股(かえるまた)には、宝相華唐草(ほうそうげからくさ)という文様の豪華な透し彫りが施され、見事です。全体的に細身でしっかりとした量感に溢れ、室町建築の作風を伝えています。
<重文>本殿

2.3km
  • 徒歩30分

<栗東八景〜青麦の薫風〜>
 JR栗東駅から北西へ約0.5km、旧中山道沿いにある神社で「方除・厄除・健康」のご利益があります。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)です。
 この地域は、芭蕉が「へそむらの麦まだ青し春のくれ」と詠んだと伝えられるところで、句碑があります。広い社域、老樹の合間に神殿が立ち、4月上旬に桜並木が満開になると、神社と美しい調和をなします。
 大宝神社には社宝とされる2対の木造狛犬(こまいぬ)があり、このうち1対が平安時代作で像高47cm、国指定の重要文化財です。1体は金色をしており、もう1体は銀色に彩色され、緑青で手描きなども施されていたらしいですが、残念なことに今は剥け落ちて、下地の漆地が露出しています。
<重文>境内社追神社本殿 木造狛犬(重要文化財の狛犬は京都国立博物館に寄託されています)

2.5km
  • 徒歩30分

JR守山駅の西、守山市農協守山支店前(旧物部村役場跡)に残っている市指定の史跡。 一里塚とは江戸時代に幕府が制定した塚で、日本橋を起点に主要街道に沿って一里ごとに榎(えのき)などの木を植えたものです。一里ごとに街道の両側に五間(約9m)四方の塚を作って植え、遠方からでもよく見えるようにし、木陰で休憩したり、馬子(まご)の駄賃(だちん)の基準に利用されました。 中山道にも一里ごとに塚が作られましたが、現在はほとんど消失しており、遺構が残っているのは全国的にも非常に珍しいです。江戸時代の守山古絵図を見ると、道の両側に一対の一里塚が描かれていますが、現在は片側だけ保存されており、昭和62年(1987)に整備されました。 榎の大木は立派な姿をとどめ、昔の面影を残しています。樹齢:150年、樹高:8m、樹幹周囲:1.9m。

0.8km
  • 徒歩20分

JR守山駅の北西約770mのところにあります。延暦寺開基に際して四境(しきょう)に門が構えられ、比叡山の東門として建立したのが始まりといわれている天台宗の寺。寺名もそこに由来していますが、比叡山を守るという意味で守山寺とも呼ばれました。江戸時代には、朝鮮人街道を通る特使の宿舎になりました。
 約4000平方メートルの境内に、江戸時代の建築といわれる本堂・庫裏(くり)・仁王門・護摩堂(ごまどう)などが木々に囲まれて立ち並ぶ立派な寺でしたが、昭和61年(1986)、本堂・庫裏・諸仏が惜しくも焼失しました。本堂に安置され、佳作と讃えられていた十一面観音像も本堂とともに焼けましたが、その後修復されています。
 焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像や、境内の石造五重塔や石造宝塔、石造宝篋印塔(せきどうほうきょういんとう)など寺の歴史を物語る美術品が多く残っており、そのほとんどが重要文化財や重要美術品に指定されています。
<重文>東門院五重塔 木造不動明王坐像 石造宝塔石造宝篋印塔

平安時代、最澄開基の天台宗寺院。「よろず代を守る山寺月さえて長き暗路照らしこそすれ」

●備考
...

3.6km
  • 徒歩40分

大小の石仏は鎌倉時代のもので、中山道を行き交う旅人の道中を守ったと伝えられています。
また、当時は乳幼児が育ちにくかったこともあり、子を持つ親たちが「我が子もこのお地蔵さんくらいになれば、後は良く育つ」と背くらべさせるようになり、「背くらべ地蔵」と呼ばれるようになったといいます。