- 車10分
モデルコース
義経と弁慶 ゆかりの地
- 日程
- 1日
- エリア
- 大津・東近江・湖西
源平の歴史をたどる
- 1
- 名神大津IC
- 2
- 三井寺
天台寺門宗の総本山。境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」と通称されるようになった。国宝の金堂を始め、西国第十四番札所の観音堂、釈迦堂、唐院など多くの堂舎が建ち並び、国宝・重要文化財は一〇〇余点を数える。
【その他見所】
■近江八景「三井晩鐘」
■弁慶の引摺り鐘
【拝 観】
■特別拝観:国宝光浄院客殿・国宝勧学院客殿
一院につき お一人1000円
※四名以上からお申し込みできます(要予約)
■座禅体験:お一人1000円
※三名以上からお申し込みできます(要予約)
■腕輪念珠作り体験:お一人3000円
※二名以上からお申し込みできます(要予約)
【行事予定】
■3月下旬〜4月初旬 ライトアップ
■5月中旬 千団子祭り
■8月初旬 三井寺妖怪ナイト
■11月下旬 秋の特別拝観
...
- 車30分
比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録されています。奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まりです。最澄が中国に留学して天台宗を開宗してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、この比叡山からのちに日本仏教をささえた円珍(えんちん)(814-891)、円仁(えんにん)(794-864)、慈円(じえん)(1155-1225)、源信(げんしん)(942-1017)、法然(ほうねん)(1133-1212)、親鷲(しんらん)(1173-1262)、一遍(いっぺん)(1239-89)、道元(どうげん)(1200-53)、日蓮(にちれん)(1222-82)などの傑僧(けっそう)を輩出しています。全盛を誇った平安時代末期には、三塔・十六谷・三千坊を数えていたといわれています。この時代に門下の対立が激しくなり、分立した三井寺(園城寺)の寺門に対して、山門と呼ばれています。
杉木立が深く生い茂っている比叡山中の...
- 車60分
琵琶湖大橋経由
承安4年(1174)3月3日、源氏の御曹司(おんぞうし)、牛若丸は京の鞍馬で遮那王(しゃなおう)と称してひそかに源氏の再興を志していました。
鞍馬をこっそり抜け出した牛若丸は兄頼朝を尋ねんと、奥州の金売り吉次と下総の深栖(ふかす)の三郎光重が子、陵助頼重(みささぎのすけよりしげ)を同伴して東下りの途中近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町鏡)に入り、時の長者「沢弥傳(さわやでん)」の屋敷に泊まります。
その夜、稚児姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決意します。
そこで地元「鏡」の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子(えぼし)を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元結(もとゆい)の侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。
鏡神社より西側へ130mのところに池があり、そばに石碑が建っています。
これが義経の「元服池」とよばれている池で、義経はこの池の水を元服の時に使ったといわれています。
この池は浦山の湧き水がしみ出てきているもので水道が整備されるまでは、付近の人家の飲料水として使用されたほど大変澄みきった美しい水で、旅する人々...
- 徒歩3分
渡来文化の足跡が残る竜王町は、中山道の宿場「鏡宿」として栄えたところです。また、近くには源義経が元服した「元服池」が現存しています。
2003年11月にオープンした「道の駅 竜王かがみの里」では、地場産品を販売すると共に、レストランでは地場産品を食材としたメニューを提供しています。
- 車90分
高さ1.7m幅2mほどの岩で、海津大崎の少し手前の湖岸にあります。義経が兄の頼朝に追われる身となり奥州平泉に逃れる時、この土地を通りかかったといわれています。義経がこの岩に隠れたかどうかはわかりませんが、海津付近に上陸し一時身を隠して北国へ逃れていったことは謡曲「安宅」の一節に謡われています。
- 車40分
- 7
- 北陸道木之本IC