草津の立木神社境内にあるこの道標は、東海道と中山道との分岐点である草津宿の中央部に位置する追分の地に建てられていたことがうかがわれ、現在の草津追分に建てられている道標の前身のものと推定される。この道標の建立年代は延宝8年(1680年)と刻銘にあり、滋賀県で最も古いものである。建立の背景は、京都壬生村のあしだの行者万宝院という人物が、伊勢神宮と山城愛宕山への7年間毎月の参詣成就を記念・感謝して建てたものと推定される。
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