本能寺の変の後、明智光秀死去の報を受け光秀の娘婿明智秀満(左馬之介)は、安土城から陸路で坂本城へ向かう。途中、大津の堀秀政軍との対決で窮地にたつた秀満はここから馬を琵琶湖に乗り入れ、唐崎に上陸した。
処理が成功しました