鵜川四十八体石仏群

うかわしじゅうはったいせきぶつぐん

更新日
2022/10/21

    白ひげ浜付近で国道161号線を逸れ旧西近江路を北進すると、草深い山中の墓地に、高さ1.6m、花崗岩の阿弥陀如来像群が見られます。東を向いて静かに並んで座る石仏は、大きさも少しずつ異なり、慈愛に満ちた顔・あどけない顔・ユーモラスな顔など、姿もそれぞれ異なっています。近年までは、室町時代後期に観音寺城(現安土町)城主の佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うため、観音寺から見てちょうど対岸に1553年に建立したとの説が有力でしたが、京都冷泉家の冷泉為広の「為広越後下向日記」の記載から1491年には既に存在が知られており、さらに地元の古文書「小松之庄与音羽新庄与境論目録=伊藤家文書」に1436年の境界争いの記録に「四拾八躰」の文字が見られることから、従来の説を100年以上遡ることが分かってきました。その由来は、再び謎に包まれることになりました。
    現在、鵜川には33躰安置されており、13躰は江戸時代に移されて大津市坂本の慈眼堂に、残り2躰は行方知れずになっています。

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