善利組足軽組屋敷

せりぐみあしがるくみやしき

更新日
2021/06/15

    善利組足軽組屋敷、城下の南部、外濠(現在の昭和新道)と芹川とに挟まれた地区にあります。
    彦根藩の足軽衆は、二十二俵三人扶持の禄高で、第四郭つまり町の一番外側に住居を置き、城下を守る役割を果たしていました。
    組屋敷は、中藪組が、慶長11年(1606年)に設置されたのをはじめ、善利組は、元和3年(1617年)、足軽の増強により、川原町裏手に8組が設置されました。その後、寛永6年(1629年)には、瓦焼町東側に切通上・下組、また安清町南側にも大雲寺組の組屋敷が設置されました。中組・北組が設置された時期は明らかではありません。
    面積では、善利組がもっとも大きく、東西約750メートル、南北約300メートルの地域を占め、現在もその屋敷割りが引き継がれ、足軽組屋敷のたたずまいが残っています。防御を目的とした町割りのため、「どんつき」や「くいちがい」など、直線を避け意図的に曲げた小路がはりめぐらされています。

    ※現在は一般家庭居住地の一部となっており、建物内に入ることはできませんので、予めご了承下さい。

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