瀬田城跡

せたじょうせき

更新日
2016/06/30

    瀬田川東側に軍事上の目的で築城された城。瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川であり、瀬田川に架かる瀬田橋は「急がば回れ」の語源ともなった橋で、戦国時代は交通・軍事上の重要戦略拠点であった。その瀬田橋のたもとにあった瀬田城も重要な位置を占めていた。
    永享年間(1429〜1441年)の山岡資広(すけひろ)から始まり代々山岡氏が城主で、織田信長政権下の山岡景隆は、瀬田橋を守る城主として活躍、織田信長からの信頼が厚く織田信長は上洛のたびに瀬田城を宿所としていた。
    天正10年(1582年)本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、安土城を占拠するため瀬田橋に軍を進めた。架橋を任されていた山岡景隆は織田信長への忠義を守り瀬田橋を焼き落とし明智光秀の軍を阻んだ。これにより明智光秀はいったん兵を引かざるを得なくなり、天下の趨勢に大きな影響を与えた。
    今は、瀬田唐橋の東側高層マンションの下の県道前にひっそりと城跡石碑が立っている。

    所在地
    大津市瀬田二丁目
    アクセス
    公共交通機関
    京阪電鉄/石山坂本線 「唐橋前」 下車 徒歩 5分
    名神瀬田東(西)ICから約5分
    お問い合わせ

    石山駅観光案内所

    TEL
    077-534-0706
    エリア
    カテゴリ