三上山山頂に腰を下ろし風に吹かれていると、
風に色がつき、山頂から虹となって立ち上るようだ。
鮒ずしを神饌として供する神社は近江に多い。中でも守山の下新川神社に伝わるすし切りの神事は、独特の作法で献上する。二人の若者が拝殿前の神事場中央の薦に畏まって座る。宮司、自治会長を前に、来賓、組長、神輿番の若衆、観客が注視する中、古式に則り手を使わず、無言で鮒を切り分けてゆく。厳粛で、自然の恵みへの感謝がまな板の上に盛り重ねられるかのようだ。練習を重ねた二人だが、作法のタイミングがずれると若衆から大声で冷やかされ、境内は笑いの渦となる。神饌の鮒ずしは一同に振舞われる。野洲川の扇状地としてよい米が収穫できる肥沃な平野が広がり、クリークの発達したこの地域は、大雨の後、鮒や鯰が遡上し、手づかみで獲れた。そして長期保存の方法として、乳酸発酵させる「馴れずし」の文化が育まれ、ハレの日だけでなく日常の料理として各家庭で食されてきた。
江戸時代の「近江與地志略」によると、近江国では播磨田村(現守山市)の米が最良とされ、昭和3年(1928年)、三上村(現野洲市)が悠紀斎田に選ばれている。野洲川流域は農耕が盛んになる頃から発展した。邪馬台国の謎を秘めた大規模な建物跡の伊勢遺跡、環濠集落の下之郷遺跡、国内最大の銅鐸も大岩山山腹(野洲市)より出土している。そんな歴史を見守るように、近江のランドマークとして聳えるのが三上山だ。形の良さから「近江富士」とも呼ばれ、俵藤太のムカデ退治伝説でも知られる。麓には御上神社が鎮座し、境内からは拝殿の屋根を支えるように三上山が仰げ、神体山信仰を今に伝える。つま先上がりの道を行き、岩場を這うようにして山頂に至ると、パノラマが広がる。東海道と中山道の分岐点草津では、友禅染に使われるアオバナが栽培されている。一里塚の残る守山宿。平安時代の洲浜庭園が発見された兵主大社(野洲市)。野洲川を挟んで対峙する山には奈良時代に良弁が開いた金勝寺(栗東市)があり、山中の狛坂磨崖仏は木漏れ日の中で大らかな微笑みを浮かべる。三上山山頂に腰を下ろし風に吹かれていると、風に色がついて山頂から虹となって立ち上るように思えるのです。







