東京からの帰り、新幹線で関ヶ原に近づくと、山が迫り、伊吹山が一際高く聳える。関ヶ原を挟んで、お寺の山門の仁王さんが対峙するかのように霊仙山はある。裾野が広く、鈴鹿山脈に連なり、車窓からは確認しづらいが、彦根城あたりからは孤高を保つなだらかな山容が望める。歴史の砂時計があるとしたら、この2つの山が砂時計の括れたところに当たるだろう。数々の歴史がここで凝縮され、また解き放たれていった。

石灰岩質の霊仙山は山頂付近がカルスト台地状で、ドリーネ(摺鉢状窪地)も多い。見晴らしがよく、小谷山、竹生島、比良山系、比叡山と歴史に彩られた山々を一望できる。この山を水源として渓谷を下り、里山の田畑を潤し、彦根城近くを抜けて琵琶湖へ注ぐ川が芹川だ。上流では大規模な石灰洞窟「河内風穴」が発見され、確認されているだけでも総延長は6.8kmと国内4番目の長さを誇る。安全性と洞窟内の環境保護のため現在は一部のみしか一般の立ち入りはできないが、2時間程かけて匍匐してたどり着く核心部には鍾乳石の宮殿のような地下世界が広がる。ここで濾過された清冽な水が霊仙山からの流れとなり、渓谷を下ってゆく。

谷の冬は厳しいが、石灰岩質を好む福寿草が群生し、里よりも春の近いことを、雪を割って教えてくれる。春ともなればカタクリやイワウチワが林道に咲き誇り、僅かに残る山村はまるで桃源郷のようだ。

芹川の狭い谷は、美濃と近江を結ぶ街道でもあった。鈴鹿山脈の中にあって比較的標高が低く、近江商人も多く利用したことだろう。関ヶ原合戦時、島津義弘は敵陣を中央突破し、ここの五僧峠を越え薩摩へ無事帰還した。以来この峠を「島津越え」とも呼び、現在も先人の労苦を偲んで踏破すべく、鹿児島の人たちが毎年やってくる。谷を出ると絵巻物のような多賀大社と豊かな湖東平野が広がり、芹川は彦根市内を目指す。彦根城の天守からは海のように広い琵琶湖が眩しく輝き、城下町のパノラマが広がる。芹川はそんな風景の中を琵琶湖へと流れていくのです。

歴史街道(PHP研究所発行)2010年3月号を元に構成したものです。