近江は道の国だ。
鈴鹿山麓から湖東平野、蒲生野には、
歴史が原寸、現位置で残る
近江は道の国だ。大和朝廷は街道を放射状に整備し、中央集権体制を確立していった。中でも東海道、中山道、北陸道は近江を通り、琵琶湖を使えば北陸から都へ大量の物資が運べた。天智天皇は大津に遷都し、織田信長は近江の中央、安土に壮大な城を築いた。交通の要所・鈴鹿山麓にも、色とりどりの歴史が残る。朝倉氏討伐に失敗した信長は敵中を突破し、甲津畑の千種越えで狙撃に遭いながらも岐阜城に帰還した。狙撃手が信長を待ち受けたという大きな岩が残る。私も岩に腹ばいになってカメラを構えると、光線の具合や傾斜角度もちょうどよく、ここから狙ったと確信した。全国に販路を広げた近江商人の屋敷は、大店の格式を今に伝え、山深い小椋谷に隠棲する惟喬親王(844〜897)より伝授されたロクロの技術から、木地師発祥の地とされる。琵琶湖の東、鈴鹿山麓から湖東平野、蒲生野には、そんな歴史が原寸、現位置で残る。
秋も深まると、彦根から永源寺に至る湖東山辺の道は「紅葉海道」と呼びたくなるような錦に染まる。西明寺の不断桜では二つの季節を同時に見る不思議な感覚に襲われ、金剛輪寺の豪快な紅葉は浄土の世界に迷い込んだようだ。百済寺の「天下遠望の名園」の、湖東平野から琵琶湖、比叡山まで見渡せる夕焼けの美しさは、紅葉が照り返しているからだろうか。永源寺の回廊の窓には立体的な日本画がはめ込まれているかのようだ。寺の奥に水源を発する愛知川は平野を潤し琵琶湖へ流れ込む。万葉ロマンを秘めた平野には、道の国近江らしく国際的な交流も生まれた。蒲生野の小高い丘の上に建つ日本最大最古の三重石塔「阿育王塔」(石塔寺)は、日本の美意識と異なる独特の比率で建てられ、凛とした立ち姿は異国の文化発信の灯台のようだ。韓国には同じ形の石塔がある。白村江の戦いに敗れた百済の人々が湖東に移り住み、故郷を懐かしんで建てたのだろうか。鈴鹿の麓に建つ大きな古寺で大陸的なゆったりとした時間の流れを感じるのは、ここが国際都市だったからなのかもしれない。







