「先ず頼む椎の木もあり夏木立」
芭蕉さんを身近に感じる場所、大津。
芭蕉さんを身近に感じる場所が、大津には数多い。義仲寺には長い旅路を終えた芭蕉さんの自然石に刻まれたお墓があり、翁堂に安置された芭蕉像にいつでも逢うことができる。琵琶湖畔に立って芭蕉さんの句を口ずさむと、句と風景がぴったりと重なることもある。夕暮れ時、浮御堂に佇めば芭蕉さんが乗った屋形船の艪の音が聞こえ、月夜の晩、三井寺の大門の前に立てば、この場所で見上げて句にしたのだろうと想像できる。
俳聖松尾芭蕉(1644~94)は、奥の細道の旅の疲れを癒すかのように、石山寺に程近い国分山の幻住庵に四カ月ほど滞在している。狐狸が棲み、人が来ない寂しく静かな所だったらしい。芭蕉さんは人生を回想し、芸術家としての生き方を「幻住庵記」に残した。
「先ず頼む椎の木もあり夏木立」
今も大きな椎の木が幻住庵を見守るように枝を広げ、とくとくの清水は清澄な水が今もとくとくと湧きだしている。まるでつい最近まで芭蕉さんが暮らしていたかのようで、雨上がりの木々から落ちた雫が清水に波紋を広げると、芭蕉さんの顔が映る幻が見える。
侘びた幻住庵と対照的に、雅な雰囲気を纏う観音霊場石山寺は一年中花が絶えることがなく、紫式部が焚き込めた香のかおりが、花のそれとともに今も境内に漂うかのようだ。芭蕉さんは石山寺もよく訪れていた。これから百花繚乱の季節を迎える石山寺だが、隠者のような暮らしばかりでなく、華やかな石山寺を何度も訪ねていた芭蕉さんに、より親しみを覚える。芭蕉さんは生涯で、句の一割近くを、大津の地で詠んでいる。お山(比叡山)に登り琵琶湖の夜明けを待つと、宝石箱の蓋をそっと開けるように大津の夜が明けてゆく。この妖しいほど美しい光景を目にする時、芭蕉さんが大津の地を永遠の故郷とした理由の一つがわかったと確信するのです。
膳所城跡公園
徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手・藤堂高虎に造らせた城。湖水を利用した典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといわれる。芭蕉も「湖や暑さを惜しむ雲の峰」と詠んでいる。







