姉川の合戦、浅井長政、羽柴秀吉、石田三成
語り尽くせない歴史の宝庫 長浜
姉川は伊吹山地を源に、長浜の平野を潤して北国脇往還と北国街道をくぐり琵琶湖へ注ぐ。このあたりは美濃、北陸、そして水運を使えば京も近い歴史と文化の交差点だ。見渡す山々には必ずといっていいほど城が築かれ、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が激突した姉川の合戦ゆかりの血川や血原の地名が残る。羽柴秀吉は地名を今浜から長浜に改め、城を築き、城下は大いに発展した。国友には刀鍛冶集団が住み、鉄砲の生産地として知られていく。その技術は、長浜曳山まつりの豪華絢爛な曳山の金工細工にも生かされている。また国友一貫斎は空気銃を完成させ、天体望遠鏡で太陽黒点の観察も行った。水に恵まれ養蚕も盛んなこの地域には、縮緬製織の技術が導入され「浜縮緬」の銘柄が生まれた。天保6年(1835年)、阿波の人形芝居の一座が雪に降られ、路銀代わりに置いていった人形が始まりとされる人形浄瑠璃冨田人形は、村人たちが郷土の民俗芸能に育て上げた。そんな歴史を縫って流れる姉川の河口には、早春ともなるとアユが遡上してくる。漁法の一つに簗漁があるが、今年も簗を飛び越さん勢いで無数のアユが川を上ってきた。故郷琵琶湖を離れ激流を上り大鮎に成長してゆく様は、近江商人のみならず、滋賀県の人々の心の励みである。そのジャンプは1回転2分の1ひねりが多いが、難易度の高い3匹同時並行跳びを披露する浅井三姉妹のような元気なアユもいた。かつてこの地を統治したのは小谷城を本拠とする戦国大名の浅井亮政、久政、長政の三代。戦乱の中で小谷城は落ち、長政の娘の三姉妹は波乱の人生を歩むが、血筋は豊臣、徳川に受け継がれ、歴史の舞台に何度も登場することになる。馬の背状の尾根に曲輪が連続する小谷城跡は左右に視界がよく、まるで六曲一双屏風のようだ。左隻は青空を背にした雪の伊吹山、右隻は夕焼けに染まる琵琶湖。きっと浅井三姉妹も故郷の原風景として心に焼き付けたに違いない。
そして小谷城跡に立てば、今も三姉妹と同じ感動を分かち合うことができるのです。
石田三成像
長浜市石田町は、戦国武将・石田三成が生まれた町として知られる。公民館前の石田家跡には顕彰碑が立てられ、近くの八幡神社には石田一族と家臣の供養塔があるなど、町内には三成ゆかりの史跡が多く残る。







