険しい鈴鹿山脈最南部、油日岳を越えると山裾が広がるように伊賀方面に続く。まるで、お寺の門が開かれたようだ。
険しい鈴鹿山脈の最南部、油日岳を越えると山裾が広がるように地形はなだらかに伊賀方面に続く。この辺りは伊勢へ抜ける小さな谷越えの道が多く、峠道は地形に沿ってゆっくり曲がる。地図も見ずにのんびり走っていると、いつの間にか伊賀市の標識に変わり、忍者に惑わされた気分になる。新名神高速道路が開通した一方、旧道には古い道標が現役で活躍し、路傍のお地蔵さまも道案内をしてくれる。近江は琵琶湖を中心に千メートル級の山々に囲まれた盆地だが、甲賀から伊賀の山々は五百メートルを切り、お寺の門が開かれたように開放的である。しかし人々が暮らす里には小高い山と谷が交錯し、天然の砦の中のようだ。情報をビジネスとし歴史の陰で活躍した甲賀忍者も、この独特の地形から生まれたのかもしれない。
天平時代、聖武天皇は短い期間、紫香楽宮を営み、古代から中世にかけて、天皇の即位ごとに伊勢神宮に奉仕する斎王の宿舎「垂水斎王頓宮跡」(国史跡)が今に伝わる。本能寺の変の直後、家康は御斎峠を越えて伊勢へ抜けた。歴史を彩るさまざまな場面が、甲賀にはそのまま残る。東海道の宿場として、また伊勢へ抜ける街道として、甲賀は人と文物が交錯し独自の発展を遂げた。日本六古窯のひとつ信楽では、愛くるしい狸が迎えてくれ、五大銘茶に数えられる朝宮の茶畑は、山の斜面に現代アートを描く。まるで竜宮城のような大池寺の庭園は小堀遠州の作と伝わり、サツキの大刈り込みは大海原を宝船が行くさまを表わすめでたい庭だ。琵琶湖に面していないこの地で庭を拝する時、水へのさまざまな思いが湧いてくる。水口曳山祭で奏でられる、体中が湧き立つような粋な調子の水口囃子は、江戸のお囃子のリズムを取り入れたものだという。甲賀は各地から入ってくる優れた文化を受け入れ、さらに独自の芸術に昇華させる力のある土地なのだと、鎮守の森でお囃子を聞きながら思うのです。







