1. HOME
  2. 特集 近江の姫たち
  3. 菊姫

前田菊姫

前田菊姫
前田菊姫
(西教寺蔵・琵琶湖文化館提供)
関係図
  • 拡大して見る

利家の娘、幼くして秀吉の養女に

前田菊姫(まえだ・きくひめ、一五七八〜一五八四)は、前田利家の第六女である。彼女の祖母が書いた消息では「御きく様」と表記され、存命中は「きく(菊)」と呼ばれていた可能性が高い。前田利家は豊臣政権五大老のひとり、加賀百万石の基を築いた大大名として有名だが、菊は天正六年(一五七八)にその利家と側室・隆興院との間に上方で生まれた。利家三九歳のときの子である。隆興院は笠間与七の娘で、名を岩(いわ)と称した。隆興院は利家の妻としては、正室の芳春院(まつ)に次いで多くの子を産んだようで、菊のほかにも九女・保智(清妙院、一五九五〜一六一四)や、夭折した三人の男児があった。

『川角太閤記』に「又左衛門(利家)のむすめ二ッのとし筑前守(秀吉)もらひ養子に仕置也」とあることなどから、菊は数え年わずか二歳で羽柴秀吉の養女になったといわれる。織田信長の家臣であった利家は、天正二年(一五七四)柴田勝家の与力とされ、北陸方面における織田領の支配および上杉軍との戦いに従事していた時期にあたる。一方の秀吉は、中国方面軍で活動中であった。菊が養女となった詳しい理由はわからないが、秀吉と利家との親密な関係が背景にあったことは間違いないであろう。

利家の娘としては、他にも四女・豪(一五七四〜一六三四)が秀吉の養女となり、三女・摩阿(一五七二〜一六〇五)が秀吉の側室となって加賀殿と呼ばれた。豪は秀吉の長浜城主時代(一五七四〜七七)、すでに養女となっていたようであるから、菊は利家の娘として二人目の秀吉養女であった。

ところが、菊は実際には秀吉のもとで育てられなかった。先に養女となった豪は秀吉夫妻の愛情をいっぱいに受けて養育されたことが知られているが、かえってそれがゆえにか、異母妹の菊は近江大津の豪商・西川孫右衛門重元のもとに預けられることになった。西川重元は大津の北国海道筋に住む唐物問屋であったから、彼女はその短い生涯の大半を琵琶湖畔の大津の町で過ごしたことになる。

七歳で夭折、琵琶湖畔に眠る

菊はしかし、天正十二年(一五八四)八月にわずか七歳で亡くなってしまう。満年齢でいえば六〜七歳ころ、今日でいえば小学校一年生ころの幼さである。死因はわからない。場所についても西川重元の家で亡くなったとも、京都で亡くなったともいわれて、明らかでない。近江西教寺(現在、大津市坂本にある天台真盛宗総本山)で葬儀を執りおこない、同寺墓地に埋葬された。法名は「金溪空玉童女」である。墓石は小さな五輪塔であったが、明治十七年(一八八四)金沢前田家によって「前田菊子之墓」と刻んだ墓碑が新たに建立されている。

まさにはかない人生を終えた彼女だったが、夭折した子としては珍しく、肖像画が二幅も伝わっている。その一幅は西教寺に伝わる「絹本著色前田菊姫像」で、重要美術品に認定されている。高麗縁の上畳に、今にも立ち上がりそうな動的な姿勢で坐る菊の姿を描いたもので、髪型は子どもらしく唐子髷を結い、表情もあどけない。桐唐草に竹文様をあしらった打掛風の小袖を着て、袖口からは小さな白い手がのぞく。

その小さな右手には、彼女の名前と同じ白菊の一枝が強く握りしめられ、畳の上に置かれた狗筥(いぬばこ、犬張り子)、紙雛(紙製のひな人形)、香合、独楽、といった玩具類と相まって、ありし日の菊姫を想像させるよすがとなっている。彼女はわが名と同じ菊花を愛したのだろうか、紙ひな人形などの描かれた玩具類は、生前の愛用品をスケッチにしたものなのだろうか。恐らくそうなのであろう。童女の可憐な世界が凝縮された肖像画を見る者は誰しも、短かすぎた彼女の人生を想像して、胸ふさがる思いを禁じえない。

なお、菊の肖像画の上部には色紙型が設けられ、西教寺第九世真智上人の筆になる賛文が書かれている。

 金溪空玉童女肖像
秋風吹草花/交命更難留/従胎丹青質/庸回向看経
 真智上人(花押)/于時天正十二年八月廿一日

これによって、「絹本著色前田菊姫像」が彼女の死後ほどなく描かれたもので、他に類例の少ない貴重な桃山期童女像の遺品であることがわかる。

ところで、菊の肖像画はもう一幅、金沢市西方寺にも伝わっている。西方寺は天正十三年(一五八五)、菊の菩提を弔うため前田利家によって金沢城下に移建された寺院と伝え、利家の七女である春光院(千世、菊の異母妹)が菊の位牌と肖像画を寄進した。利家には多くの子どもがいたが、夭折した子もまた多かった。それだけに、逆縁となった子たちを悼む気持ちが、人一倍強かったのかもしれない。「槍の又左」の異名をとった猛将・利家の、あまり語られない慈父としての一面である。

菊の人生は短かった分、父である前田利家をはじめ多くの人々から哀悼された。大津で育った彼女が親しみ、愛したであろう琵琶湖の風景を一望のもとにのぞむ高台に、彼女は葬られた。静かで広い境内には、それから四百年以上の間、常に不断念仏の鉦の音が響き、それを聞きながら童女・菊は今も安らかに眠り続けている。

(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 井上 優)

  • 西教寺本堂西教寺本堂