モデルコース

旧中山道を訪ねて

日程
1日
エリア
湖北

長谷川伸の戯曲『瞼の母』で一躍脚光を浴びた山里の宿場町です。付近には一向上人開山と伝わる蓮華寺や、脇本陣跡といったみどころがあります。

4.5km
  • 徒歩50分

南北朝時代、足利尊氏の寝返りにあって鎌倉へ落ち延びる途中、京極道誉に阻まれて進退極まった北条仲時以下432人が自刃。流れ出た鮮血で、辺りは川と化したといいます。仲時28歳ほか、6歳の子供から60歳の高齢者に至るまでの名を記した過去帳は、国の重要文化財に指定され、寺の裏には彼らの墓が寄りそうように並んでいます。
 堂宇は、室町時代に応仁の乱の余波を受けて再び焼失したため、戦国時代に再興されています。
 長谷川伸の小説「瞼の母」の舞台として知られ、番場の忠太郎の故郷として、境内に忠太郎地蔵尊が立てられています。また、蓮花寺49代和尚の門弟であった斎藤茂吉の歌碑が建っています。
<重文>銅鐘 紙本墨書陸波羅南北過去帳 絹本著色一向上人像

木造2階建ての擬洋風建物で、昭和48年まで醒井郵便局として使用されていました。建物の創建は大正4年(1915)で、米国出身のウィリアム・メレル・ヴォーリズがその設計に携わっていたことで知られています。現存の局舎は昭和9年(1934)外側をモルタル張りにして、玄関の位置や内部の間取りを変更したものです。ネオクラシシズムな外観は当時、大変モダンでした。現在では国の登録文化財に指定され、建物の2階部分では江戸時代を通じて醒井宿の庄屋や問屋場を務めていた江龍宗左衛門家に伝わっていた古文書を展示しています。

0.2km
  • 徒歩10分

醒井の加茂神社に湧き出る名水です。古くは、「古事記」や「日本書紀」 にも登場し、日本武尊が熱病に倒れた時、体毒を洗い流した霊水とも伝えられます。

神社の境内脇の石垣の下から湧き出て、旧中山道のほとりを川となって流れるこの水は、近在の西行水、十王水とともに、醒井の人々にとって欠かせない生活の水であり、この宿場を訪れた旅人の疲れを癒したオアシスの水でもあります。

また、2008年6月には、「平成の名水百選」(環境省)に選ばれています。

5km
  • 10分

米原市柏原は、江戸時代中山道60番目の宿として、たいそう賑わった宿場町です。長さが1.5kmと近江国最大級の宿場であり、昔ながらのまちなみを残しています。中でも柏原宿の特産である伊吹山の薬草を原料とした伊吹艾を商う「伊吹堂亀屋佐京商店」は、今も昔と変わらぬたたずまいで日本一大きい福助とともに旅人を迎えてくれます。
「柏原宿歴史館」は、昔の民家を改造した施設で、柏原宿をはじめ周辺の歴史文化を紹介する柏原宿探検コーナーや伝統文化の実演が行われています。ビデオシアターでは、国の特別天然記念物に指定され市民の宝物である源氏ボタルの姿を紹介しています。

喫茶「柏」が併設されており、軽食などがいただけます。なかでももぐさで有名な柏原からもぐさをイメージした「やいとうどん」がおススメです。

1.5km
  • 徒歩20分

弘安9年(1286)、京極氏の初代氏信が建立。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。京極氏は、鎌倉中期に近江で勢力を振るっていた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。
 国の史跡に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672)に讃岐丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。
 寺地は、もと氏信の柏原館があったところで、本堂裏に、裏山を取り込んだ回遊式の庭園があり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣きを添えます。堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も、また格別です。

<京極家墓所>
 京極家の菩提寺・徳源院(とくげんいん)(清滝寺(きよたきでら))の本堂裏手の山麓にあります。上段の始祖氏信(うじのぶ)を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む、歴代当主の墓碑宝篋印塔(ほうきょういんとう)が18基。下段には、それ以降の当主や分家やらの宝篋印塔14基と、淀殿の妹・はつ...